「北条綱成」の版間の差分

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| 藩 =
| 氏族 = [[福島氏]]→[[後北条氏|玉縄北条氏]]
| 父母 = 父:[[福島正成]](伊勢九郎]]とも)、養父:''[[北条為昌]]''
| 兄弟 = '''綱成'''、[[北条綱房|綱房]]、[[松田盛秀]]室
| 妻 = 正室:'''大頂院殿'''([[北条氏綱]]の娘)
| 特記事項 =
}}
'''北条 綱成'''(ほうじょう つなしげ/つななり)([[永正]]12年([[1515年]] - [[天正]]15年([[1587年]]))は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。[[後北条氏]]家臣。父は[[今川氏]]家臣の[[福島正成]]とされる。
 
== 生涯 ==
ただ、[[黒田基樹]]は、『北条早雲とその一族』の中で、上総介正成という人物は実在しないとしており、[[小和田哲男]]も『今川氏家臣団の研究』の中で、福島上総介正成という名前は古記録だけでなく、古文書にも出てこないと言っている。
 
では、綱成の実父は誰かといえば、黒田は同書の中で、大永5([[1525年]])の[[武蔵白子浜合戦]]で戦死した伊勢九郎、別名櫛間九郎という人物であろうと推測しており、[[下山治久]]も『後北条氏家臣団人名辞典』の中で、櫛間九郎という人物が、綱成の父親である可能性が高いとしている<ref name="gohoujoukasindan" />。また[[高澤等]]は[[武蔵国]][[榛沢郡]]の[[武蔵七党]][[猪俣党]]野部(野辺)氏の後裔と考察している。
 
===「地黄八幡」の闘将===