「ルネ・ド・シャロン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
6行目:
[[1540年]]、ルネは[[ロレーヌ公]][[アントワーヌ (ロレーヌ公)|アントワーヌ]]の娘アンヌと、ロレーヌの[[バル=ル=デュック]]で結婚した。2人の間の一人娘マリーは生後3週間で死亡し、他に子は生まれなかった。
 
シャロン家は代々[[ブルゴーニュ公一覧|ブルゴーニュ公]]の廷臣として仕え、ルネもブルゴーニュ公である[[神聖ローマ皇帝]][[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]]に仕えた。第4次[[イタリア戦争]]にも参陣したが、[[1544年]]の[[サン=ディジエの包囲戦]]のさなかに、25歳の若さで戦死した(守備にあたっていた[[ベンヴェヌート・チェッリーニ]]が、砲につめた鉄屑を撃ち放ちルネを直撃した、という<ref>{{Cite book|和書|author=古賀弘人・訳|year=1993|title=チェッリーニ自伝・上|publisher=岩波文庫|pages=131-132}}</ref>)。
 
ルネは生前、カール5世の意向により、父方の叔父[[ヴィルヘルム (ナッサウ=ディレンブルク伯)|ナッサウ=ディレンブルク伯ヴィルヘルム]]{{enlink|William I, Count of Nassau-Dillenburg|a=on}}の長男ヴィルヘルム([[ウィレム1世 (オラニエ公)|ウィレム]])を相続人に定めていた。カール5世が、万が一の際にルネの財産が[[プロテスタント]]のディレンブルク伯に渡ることを好まず、その子供であれば改宗も容易であると考えたためである。実際にルネが不慮の死を遂げたことで、オランジュ公領やネーデルラントの所領などは全て、この11歳の従弟が相続した。