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[[画像:Pair of CIDG soldiers, 1965.jpg|thumb|250px|CIDG隊員。]]
'''民間不正規戦グループ'''({{Lang-en|Civilian Irregular Defense Group program, '''CIDG'''}})は、[[ベトナム戦争]]期において、[[アメリカ合衆国]]の[[不正規戦争|不正規戦]]戦略に基づいて編成された[[アウクシリア|補助兵]]部隊。部隊の編成・訓練は、[[中央情報局]](CIA)の支援のもとで[[アメリカ陸軍特殊部隊群]]によって行なわれ、隊員は[[ベトナム]]中部山岳地帯に住む少数民族[[:en:Degar|モンタニヤール]](モンタニヤード)より募集された。
 
== 概要 ==
CIDG計画は、[[1961年]][[11月]]より[[ブオンエナオ]]において着手された。アメリカ陸軍特殊部隊員たちは、訓練の他にもモンタニヤールと共に生活しながら[[医療]]活動などを通じて信頼関係を築き、その結果、CIDG計画は成功を収めた。[[1963年]]の終わり頃には、米軍特殊部隊に忠誠を誓う18000名のCIDG攻撃隊員が120個中隊で編制され、グリーンベレーによる指揮のもと、国境周辺のパトロールや監視を行った。最大で、80もの前線基地で40000人のCIDG隊員が[[ベトナム人民軍|北ベトナム軍]]や[[南ベトナム解放民族戦線]]と戦闘を繰り広げた。なお、当初アメリカ軍は、CIDG部隊を南ベトナム軍(ARVN)の指揮下に置くつもりであったが、彼らのような山岳少数民族は差別を受けるため、トラブルが絶えなかったという。そのため、CIDG部隊はベトナム戦争が終結するまで、米軍の指揮下で活動した。
 
== 編制 ==
CIDG計画により編成された部隊は、機動打撃部隊({{Lang|en|Mobile Strike Force, '''MSF'''}}; マイク・フォース({{Lang|en|[[:en:MIKE Force|MIKE Force]]}})と通称)と機動遊撃部隊({{Lang|en|[[:en:Mobile Guerrilla Force|Mobile Guerrilla Force]], '''MGF'''}})の二種があった。
 
=== MSF ===
MSFは1964年10月より設置された部隊であり、即応部隊として[[ヘリボーン]]などにより迅速に展開して、[[:en:Search and destroy|サーチ・アンド・デストロイ]]作戦を実施することが主眼とされた。またその優れた即応性から、戦闘[[捜索救難]]の支援など、様々な任務に投入された。
 
MSFの部隊編制は、TOE上は下記の通りのものであった。
; MSF中隊(1966年2月)
: 定員 - 将校6名、曹士191名。
: 編制
:* 中隊本部(CO HQ)
:* 3個小銃小隊(各42名)
:* 火器小隊(32名)
:* 偵察小隊(19名)
: 装備
:* [[U.S.M1カービン|M2カービン]]×179丁(うち10丁はM8小銃擲弾発射機を装着)
:* [[ブローニングM1918自動小銃|ブローニングM1918A2自動小銃]]×18丁
:* [[ブローニングM1919重機関銃|ブローニングM1919A6機関銃]]×6丁
:* [[M79 グレネードランチャー]]×3丁
:* [[89mmロケット発射筒 M20改4型|M20A1B1 89mmロケット発射筒]]×1基
:* [[M19 60mm 迫撃砲]]×3門
:* [[M1911]]拳銃×18丁
 
=== MGF ===
MGFは[[1965年]]より設置された部隊であり、アメリカ陸軍特殊部隊群の長距離偵察作戦の支援を主任務として、その基地の防衛および作戦支援に当たっていた。その部隊編制は、基本的にはMSFのものに準じていたものの、このように防勢的に運用されていたことから、[[対戦車ロケット弾]]発射筒や迫撃砲を持たないなどやや軽装備である一方、通信装備はやや充実していた。
 
== 参考文献 ==