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:切腹の場となった永福寺より移された「滝善三郎正信慰霊碑」がある。
 
==参考関連文献==
*『[[武士道]]』 [[新渡戸稲造]]、[[岩波文庫]]ほか
:上記ミットフォードの著作「旧日本の物語」より滝の切腹に関する記述を載せている。<br>訳書『英国外交官の見た幕末維新』の「第4章 内戦と備前事件」参照。(長岡祥三訳、[[講談社学術文庫]]、1998年) 
* 瀧善成「『神戸事件 瀧善三郎』に関する諸資料」(日本古書通信431、1980年3月)。<small>筆者は瀧善三郎の孫、執筆当時、東邦音楽大学教授。</small>
*『岡山人じゃが4--「地域」って奥深い』(岡山ペンクラブ編、吉備人出版、2008年)ISBN 4-86069-197-4。Ⅱ「ラストサムライ瀧善三郎と軍神片山兵曹長--岡山市御津地区出身、異色の2人をもっと知ろう」(赤井克己執筆)。
* 原田益直「朧善三郎の辞世について」岡山県立記録資料館紀要6、2011年3月。
*瀧善成「『神戸事件 瀧善三郎』に関する諸資料」(日本古書通信431、1980年3月)。<small>筆者は瀧善三郎の孫、執筆当時、東邦音楽大学教授。</small>
 
==関連項目==