「パナマ運河疑獄」の版間の差分

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またレセップスとその息子およびエッフェルが[[背任]]・[[詐欺]]の罪で訴えられ有罪判決を受けたが、上訴審では無罪となった。レセップスは精神錯乱の末1894年に病死した。
 
贈賄工作に直接関わったのは財務顧問のジャック・ド・レーナック男爵(Jacques Reinach)とコルネリウス・エルツ(Cornelius Herz)で、レーナックは右派を、エルツは急進派を担当していた。しかし2人の対立からレーナックは贈賄先リストを反ユダヤの新聞ラ・リーブル・パロール紙に持ち込んで事件発覚のきっかけを作り、その後自殺した。エルツらはイギリスに逃亡した。2人はいずれもドイツ系[[ユダヤ人]]であったことから、国粋・[[反ユダヤ主義]]的新聞はこれを利用して大衆の反ユダヤ感情を煽り立て、それが[[ドレフュス事件]]につながったともいわれる。
 
クレマンソーはエルツと関係があったため[[1893年]]の選挙で敗れ、一旦政界から身を引いた。この事件により3内閣が倒れ、大衆の政治家不信に火をつけた。