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F.V.E (会話 | 投稿記録)
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当初、軍事目的のための備蓄米であった城米も長い間の平和のために次第に[[飢饉]]などの災害の救済や臨時の出費の際の財源に流用されるようになり、ついに[[元禄]]2年([[1689年]])には、幕府財政の赤字穴埋めのために備蓄量を寛文以前に戻し、その余剰を売却させている。享保15年に城米が「御用米」と改められた背景には、実際には災害救済や財政調整のために用いられて軍事色が払拭されていた現状に応じたものであるとされている。その後、[[享保の大飢饉]]や[[天明の大飢饉]]の救済のためにも御用米が活用されたが、[[松平定信]]の[[寛政の改革]]では、[[囲米]]を導入して御用米の役目を代行させ、御用米を当初の軍事専用に復帰させようとしたが、幕府財政の悪化などによって依然として、災害や財政目的での利用が続けられた。
 
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[[Category:日本の軍事史]]
[[Category:江戸時代の経済]]
[[Category:災害と防災の歴史]]