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=== 南部晴政・晴継の死と、南部信直との対立 ===
南部氏二十四代・晴政には男子がなかったため、[[永禄]]8年([[1565年]])従兄弟の[[南部信直|信直]]を、長女の婿養子として[[三戸城]]に迎え世子とした。その後、晴政は二女を南部一族の中で有力者である九戸政実の弟・[[九戸実親]]に嫁がせる。しかし[[元亀]]元年([[1570年]])晴政に男子(後の[[南部晴継]])が出生し、更に[[天正]]4年([[1576年]])信直の妻が没する。信直は嗣子を辞して三戸城から出るが、晴政は信直へ不信を抱き続けた。
 
天正10年([[1582年]])、南部晴政が病死すると南部氏はかつての世子・信直と実子・晴継の後継者を巡る激しい家督争いが始まる。晴政の跡は実子の晴継が継いだが、父の葬儀の終了後、三戸城に帰城する際に暗殺されてしまう(病死説有り)。