「虎の尾を踏む男達」の版間の差分

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==概要==
[[能]]「[[安宅]]」と[[歌舞伎]]「[[勧進帳]]」を題材に作った、[[黒澤明]]初の[[時代劇]]。内容は二作品とほぼ変わらないが、オリジナルとして義経一行の道案内をする小うるさい強力(荷運びの下男)が登場する。このキャラクターに、当時人気絶頂だった[[コメディアン]]の[[榎本健一]](エノケン)を起用、義経一行の悲壮感をなお一層際立たせている。また、能の[[能#謡|地謡]]にあたる部分を洋楽の[[コーラス (ポピュラー音楽)|コーラス]]風にアレンジされしており、ミュージカルとしてもパロディーとしても十分鑑賞に耐えうる作品となっている。
 
==制作事情==
企画時は[[太平洋戦争]]末期にあたり、軍部の[[検閲]]や[[フィルム#映画用フィルム|フィルム]]などの消耗品の[[統制]]も厳しくなっていた。はじめ桶狭間の戦いをモチーフにした『どっこいこの槍』に取り掛かっていたが、多くの馬を用いるため立ち消えとなり、それでは、「映像・内容ともに簡単な(シーンが3つしか無い)この作品から録ろう」という理由から本作の撮影が開始された。撮影所の裏山で撮影された。
 
撮影中に[[終戦]]となったため、[[クランクアップ]]の頃は[[進駐軍]]の[[軍人]]が撮影現場を見物に訪れる事があり、記念撮影をしたがる彼らのために撮影が滞る事も度々であった。
 
しかし[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]が「主君への忠誠という[[封建]]的思想」を扱っているとの理由で上映禁止の処分を下したため、本作の初上映は[[サンフランシスコ講和条約]]締結後の[[1952年]]まで遅れる事となった。
 
なお、撮影を見物に来ていた軍人の中には映画監督の[[ジョン・フォード]]もおり、後年フォードと会った際に本人からその事を教えられた黒澤は大いに驚いたと言う。
 
==ストーリー==
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*梶原の使者:[[久松保夫]]
*富樫の使者:[[清川荘司]]
 
== 関連項目 ==
*[[日本における検閲]]
 
{{黒澤明監督作品}}