「ユーゴスラビア連邦共和国」の版間の差分

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[[2003年]]に国家を再編し、国家連合[[セルビア・モンテネグロ]]に移行したが、国家連合もその3年後の2006年、モンテネグロの住民投票で独立が支持されたことに伴い、解消された。その結果、2006年には[[モンテネグロ]]、[[セルビア]]の両国はともに独立国となった<ref name="kubo hikisakareta">{{Cite book
|author=[[久保慶一]]
|yeardate=2003年10月10日
|title=引き裂かれた国家―旧ユーゴ地域の民主化と民族問題
|publisher=有信堂高文社
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[[英国放送協会|BBC]]のドキュメンタリー番組「Death of Yugoslavia」では、ユーゴスラビアの高官[[ボリサヴ・ヨヴィッチ]]([[:en:Borisav Jović|Borisav Jović]])が、[[スルプスカ共和国軍|ボスニア・ヘルツェゴビナ・セルビア人軍]]が[[ユーゴスラビア人民軍]]から分かれて組織されたことを明かした。これによって、ボスニア・ヘルツェゴビナの独立に伴って、そこに駐留していたユーゴスラビア人民軍は「外国の侵略軍」ではなくなり、ユーゴスラビアが侵略者として紛争に介入しているとする見方を回避した。この際、ボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人軍は、自力での資金拠出能力はなく、ユーゴスラビアから多量の装備と全ての資金を受け取っていた。さらに、[[セルビア急進党]]の党首で民兵組織「[[白い鷹]]」の創設者でもある[[ヴォイスラヴ・シェシェリ]]は、セルビア大統領スロボダン・ミロシェヴィッチがシェシェリに対して民兵をボスニア・ヘルツェゴビナに送るよう私的に要請したと主張している。さらに、ボスニアのセルビア人軍を指揮していたのは、かつてのユーゴスラビア人民軍の指揮官[[ラトコ・ムラディッチ]]であった。<ref>{{Cite book
|author=[[岩田昌征]]
|yeardate=1999年8月20日
|title=ユーゴスラヴィア多民族戦争の情報像―学者の冒険
|publisher=御茶の水書房
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}}</ref><ref name="sahara bosnia">{{Cite book
|author=[[佐原徹哉]]
|yeardate=2008年3月20日
|title=ボスニア内戦 グローバリゼーションとカオスの民族化
|publisher=有志舎