「鳥海山大物忌神社」の版間の差分

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=== 出羽国一宮 ===
[[延長 (元号)|延長]]5年([[927年]])には『[[延喜式神名帳]]』により式内社、[[名神大社|名神大]]とされた。また、『[[延喜式]]』の「主税式」においても祭祀料2,000束を国家から受けている。『延喜主税式』によれば、当時国家の正税から祭祀料を受けていたのは[[陸奥国]][[鹽竈神社|鹽竈社]]、[[伊豆国]][[三嶋大社|三島社]]、[[淡路国]][[大和大国魂神社|大和大国魂社]]と他に3社しかないことから、大物忌神社が国家から特別の扱いを受けていたことが覗える。
 
当神社は[[出羽国]][[一宮]]とされ、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[正平 (日本)|正平]]13年([[北朝 (日本)|北朝]]の元号では[[延文]]3年、[[1358年]])、[[南朝 (日本)|南朝]]の[[陸奥守]]兼[[鎮守府将軍]]である[[北畠顕信]]が南朝復興と出羽国静謐を祈願した寄進書<ref>吹浦口之宮の所蔵文書で、昭和12年([[1937年]])国の[[重要文化財]]に指定されている。</ref>に出羽国一宮の記述が見える。これが文献上における一宮名号の初見であるとされる。