「おふくろさん騒動」の版間の差分

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[[2006年]](平成18年)[[12月31日]]放送の[[日本放送協会|NHK]]『[[第57回NHK紅白歌合戦]]』で[[森進一]]が『おふくろさん』を歌唱したが、その際にオリジナルにはない[[台詞]]が無許可で足されているとして、[[2007年]](平成19年)[[2月]]に作詞をした川内が[[著作権]]の侵害を訴え、「もう森には歌ってもらいたくない」と反発した騒動である。森は同曲を封印することを宣言した。
 
森は『[[NHK紅白歌合戦]]』では、[[1994年]](平成6年)・[[第45回NHK紅白歌合戦|第45回]]、[[2005年]](平成17年)・[[第56回NHK紅白歌合戦|第56回]]においてもセリフ台詞の同曲を披露していた。
 
=== 付け加えられた台詞 ===
『おふくろさん』のイントロ前に「いーつーも心配かけてばかり いけない息子の僕でした…」という[[韻文|バース]]が入った。この部分は問題発生の30年ほど前、森のコンサートをすべて仕切っていた[[保富康午]]が補詞を付けることを提案、当時森が所属していた[[渡辺プロダクション]]の賛成の下に原作曲者の[[猪俣公章]]が曲をつけたものであった。だが、これは作詞者の川内には伝えられていなかった。
 
=== 森の謝罪行脚 ===
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また川内は森に自分の曲を歌わせないと主張したが、同一性保持権は上記の通りJASRACの判断は改変版の歌唱禁止であり、改変前の歌詞を禁止するものではない。しかしながら川内を憤慨させた経緯から道義的な問題が出たため、森は改変前の歌詞であっても、事実上歌うことができない状況に追いやられた。
 
また、改変版の「おふくろさん」同曲は[[1977年]]([[昭和]]52年)発売の森進一のライブ版のLPアルバムに収録されている。このアルバムは騒動が起こった時には既に廃盤となっていたが、回収などはされなかった。
 
=== 解禁へ ===
2008年(平成20年)[[11月6日]]、森進一は川内康範の長男であり[[弁護士]]でもある[[飯沼春樹]]とともに記者会見を行い、「今後は川内康範のオリジナル作品のみ歌唱すること」を条件として、『おふくろさん』同曲を含めた川内康範が作詞した全33曲を森進一が歌唱することを承諾されたことを発表した<ref>{{cite news |title=森進一会見「今まで以上に心込めて歌う」 |newspaper=日刊スポーツ |date=2008-11-06 |url=http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20081106-426714.html |accessdate=2012-03-27}}</ref>。川内の妻などから委任状を取っていた飯沼は記者会見の席で「和解ではない。これは川内が付けた封印を私が解いただけ」と説明した。
 
そして、同年[[12月31日]]の[[第59回NHK紅白歌合戦]]において、解禁後初の『おふくろさん』同曲が原曲のまま披露された。その後、[[2009年]](平成21年)[[1月13日]]に放送された[[NHK歌謡コンサート]]の冒頭で『おふくろさん』が生放送で披露された。
 
== 脚注・出典 ==