「東漢駒」の版間の差分

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'''東漢 駒'''(やまとのあや の こま、生年不詳 - 崇峻天皇5年([[592年]])[[11月 (旧暦)|11月]])は、[[飛鳥時代]]の人物。[[渡来人]]の[[東漢氏]]。[[カバネ|姓(カバネ)]]は直(あたえ/あたい)。父は東漢直磐井(いわい)か。『[[聖徳太子伝暦]]』一本には、駒の別名を'''盤'''(いわお)と、またの別名を'''駒子'''という。
 
崇峻天皇5年([[592年]])11月、[[蘇我馬子]]の刺客として[[崇峻天皇]]を殺害する。しかしその月に、馬子の娘である[[河上娘]](崇峻天皇の嬪)との密通が露見し、馬子によって処刑された(崇峻天皇暗殺の口封じといわれている)。