「松平健」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
54行目:
[[愛知県立豊橋工業高等学校]]中退後、寿司職人となる<ref>[http://www.tv-asahi.co.jp/mother/contents/100/115/ グレートマザー物語]</ref>。その後、[[石原裕次郎]]に憧れて[[俳優]]を志し、[[1970年]](昭和45年)に上京。[[石原プロモーション]]に入社を直訴するもかなわず、[[宝映テレビプロダクション]]に入団。当初の芸名は松本二郎を名乗り、同僚に[[稲川淳二]]がいた。デビューは[[1972年]](昭和47年)の『[[マドモアゼル通り]]』で、この時期に松平健に改名した。[[1974年]](昭和49年)に[[勝新太郎]]のプロダクションに入り、勝の付き人を経験する傍ら、[[1972年]](昭和47年)に勝主演の『[[座頭市|座頭市物語]]』に出演した。[[1976年]](昭和51年)に昼ドラマ『[[人間の條件]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系)において、初の主人公・梶役を演じた。
 
[[1978年]](昭和53年)に『[[暴れん坊将軍]]』の主役[[徳川吉宗]]に抜擢される。同作は[[20042008年]](平成1620年)まで放送回数831832回を数える長寿番組となり、[[時代劇]]スターとして認知され、彼の代表作となった。前後して出演した[[大河ドラマ]]の『[[草燃える]]』では[[北条義時]]、『[[峠の群像]]』では石野七郎次、『[[元禄繚乱]]』では[[色部安長|色部又四郎]]、『[[利家とまつ〜加賀百万石物語〜|利家とまつ]]』では[[柴田勝家]]、『[[義経 (NHK大河ドラマ)|義経]]』では[[武蔵坊弁慶]]<ref>[[武蔵坊弁慶]]役は、新春時代劇スペシャル / [[弁慶]] ([[1997年]](平成9年)・[[テレビ朝日]]・主演)に続き、2回目となった。</ref>を演じており、同ドラマの常連俳優のひとりである。徳川吉宗や上記以外にも[[高杉晋作]]・[[斎藤道三]]・[[平清盛]]・[[大友義鎮|大友宗麟]]・[[大石良雄|大石内蔵助]]・[[遠山景元]]・[[徳川家康]]など歴史上の人物をドラマ化したもので主演している。
 
[[2004年]](平成16年)[[6月]]には『[[新説!歴史将軍]]』(フジテレビ系)に出演して、[[バラエティ番組]]の初司会を務めた。同年夏、舞台公演の終わりに華美な衣装で熱唱する『[[マツケンサンバ]]』のパフォーマンスが、[[大地真央]]との[[離婚]]取材に訪れたはずの芸能マスコミから注目を浴びた。それまで同曲のCDは公演会場でのみ売られていたが、この評判を受け『マツケンサンバII』が7月7日に全国発売された。それ以降、松平の愛称として『マツケン』という呼称が浸透するようになる。『マツケンサンバII』は[[オリコンチャート|オリコン]]シングル部門で初登場17位を記録(最高位は3位)。8月の『[[神宮外苑花火大会]]』では歌と踊りを披露して、25,000人の観客は総立ちとなった。秋には[[宝塚歌劇団]]の運動会の入場行進でも踊られた。12月31日の『[[第55回NHK紅白歌合戦]]』及び『[[第46回日本レコード大賞]]』に『マツケンサンバII』で出場し、両者ともに出場したすべての男性歌手で最も高い[[視聴率]]を記録した。