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== 概要 ==
最も成功したパンクバンドの一つであり、また時代を象徴するロックバンドでもある。
== 来歴 ==
[[1976年]][[セックス・ピストルズ]]衝撃を受けた[[ジョー・ストラマー]]が後にマネージャーとなる[[バーニー・ローズ]]<ref>[[マルコム・マクラーレン]]の相棒として活躍していたデザイナー。自称パンクの創始者。1978年10月に一度マネージャーを解雇されるが1981年に復帰。</ref>を通じて[[ミック・ジョーンズ (ザ・クラッシュ)|ミック・ジョーンズ]]
同年[[7月4日]]、ピストルズとともに[[シェフィールド]]のホワイト・スワンで初ライブを行う。[[1977年]][[1月25日]]、[[コロムビア・レコード|CBSレコード]]と契約する。尚、契約当時には既にレヴィンは解雇、チャイムズは脱退しており、契約後に正式メンバーとして[[トッパー・ヒードン]]が加入する。
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4thには3枚組の意欲作『[[サンディニスタ!]]』を発表。本国だけではなくアメリカでも次代を担うバンドの一つとしての評価を確立する。
しかし[[1982年]]、アルバム『[[コンバット・ロック]]』発売前に、
ストラマーとシムノンは新メンバー3人を迎えた新体制で再出発を図るが、発表したアルバム『[[カット・ザ・クラップ]]』はメディア、ファン両者の支持を得られず、結局バンドは解散する。
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* [[ザ・クラッシュ・コーラス'80]] (2007年)
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彼らはその活動当初から、音楽の才能と歌詞で他のパンク・ロックバンドとは一線を画す存在であった。また彼らはデビュー当時から早くもその発言、ファッションをセンセーショナルに受け止められたバンドであった。
=== 結成初期のエピソード ===
初期は金銭面でのやりくりに苦労した<ref>ジャケットやシューズなどの衣装が買えず、自分達で自作していたほどだった、とストラマーは自伝で語っている。</ref>。中心人物のジョー・ストラマーは、労働階級出身者の多いパンクバンドのメンバー中では珍しい[[中産階級]]出身ではあるが、バンド発足時は切り詰めた生活を送っていた。
=== 政治との関わり ===
クラッシュは[[音楽性]]が多岐に渡るバンドであり、同時に[[政治]]的姿勢を明確にしたイギリスで最初のバンドであった。ストラマーとジョーンズによって書かれた歌詞は、情熱的かつ[[左翼]]的政治主張を強く意識した非常に主張性、論旨性の強いもので、彼らの楽曲は社会腐敗、[[失業問題]]、[[人種差別]]、[[警察]]の横暴、政治的・社会的抑圧や[[軍国主義]]に対して強烈な批判を加え、時には性に対して言及することもあった。また、彼は[[アンチ・ナチ・リーグ]]や[[ロック・アゲインスト・レーシズム]]といった活動へも積極的に参加しパンク・ロックを越えた社会運動を作り出した。
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