「マルク・ファン・ボメル」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
38行目:
2000-01シーズンにはPSVのキャプテンとして攻守にわたって活躍し、リーグ連覇に貢献。一方で[[2002年]]の[[2002 FIFAワールドカップ|日韓W杯]]は[[サッカーオランダ代表|オランダ代表]]が出場権を逃し、[[UEFA欧州選手権2004|EURO2004]]では自身の故障で出場を辞退するなど不運に見舞われている。2004-05シーズンには自身最多となる14得点を挙げてリーグ優勝を果たすと共に[[UEFAチャンピオンズリーグ]]ではベスト4入りを果たした。
[[2005年]][[7月1日]]、[[FCバルセロナ]]へ移籍。
2006-07シーズンはシーズン前のチームのアメリカ遠征にも参加したが、監督である[[フランク・ライカールト]]に起用法を聞いたところ、「昨シーズンと同じくらいの出場時間かもしれないし、減るかもしれない」と言われた為、[[2006年]][[8月27日]]に[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ドイツ]]の[[バイエルン・ミュンヘン]]に移籍。移籍金は770万ユーロ。同年[[チェルシーFC]]に移籍した[[ミヒャエル・バラック]]の後釜としてチームの中核を担う活躍が期待された。[[9月23日]]の対[[アレマニア・アーヘン|アーヘン]]戦でブンデスリーガ初ゴールを決めると、30試合に出場し6ゴールを記録するなど期待に応える活躍を見せる。2008-09シーズンより[[オリバー・カーン]]の引退により、ドイツ人以外ではチーム初となるキャプテンに就任した。
|