「ダンディライアン (企業)」の版間の差分

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[[1995年]]からは唯一のプライベートチームとして[[全日本ツーリングカー選手権 (1994年-1998年)|全日本ツーリングカー選手権]](JTCC)に参戦。しかし、[[ワークス・チーム]]と[[セミワークス|サテライトチーム]]ばかりの状況では成績を残すことが出来ず、シリーズが消滅する[[1998年]]まで厳しい4年間を過ごすこととなった。
 
JTCCの消滅と共に翌[[1999年]]から念願であった[[フォーミュラ・ニッポン]]に参戦を果たすも、暫くは結果を出すことができなかった。[[2001年]]には[[フォーミュラ1|F1]]の[[ザウバー|ザウバーチーム]]と、[[エンジン]]や[[シャーシ]]などの技術的なサポートと人材派遣を受ける提携を結び、世界進出の足掛かりとなる可能性のある提携であると発表された(提携は数年継続)。参戦4年目の[[2002年]]、途中加入した[[リチャード・ライアン]]により初ポイント(2位)を獲得。以降はコンスタントにポイントを獲得できるチームとなり、[[2004年]]にはライアンがドライバーチャンピオンとなった。しかし、それ以降の成績は、やや精彩を欠いている
 
== 参戦歴 ==
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: #40 リチャード・ライアン (20pts)/#41 [[服部尚貴]] (3pts)
* [[2004年]] DoCoMo TEAM DANDELION RACING (ローラ B351・無限MF308) - ランキング3位
: #40 '''リチャード・ライアン (33pts)*'''(33pts、ドライバーチャンピオン獲得'''/#41 服部尚貴 (7pts)
* [[2005年]] DoCoMo TEAM DANDELION RACING (ローラ B351・無限MF308) - ランキング2位
: #1 リチャード・ライアン (30pts)/#2 服部尚貴 (7pts)