「エミール・デュ・ボア=レーモン」の版間の差分

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== 略歴 ==
[[1818年]]11月7日にドイツのベルリンで生まれる<ref>当略歴の節は主に、[[坂田徳男]]による『自然認識の限界について・宇宙の七つの謎』に付された解説(pp.5-15)を元にした。</ref>。父親のフェリックス・アンリ・デュ・ボア・レーモンは[[スイス]]の[[ヌーシャテル州]]出身の[[時計職人]]。父はスイスで時計職人をしていたが、[[1804年]]にドイツのベルリンに移動し、しばらく後に公務員となり役所に務めた<ref name="Pearce">Pearce, J M (2001)</ref>。母のミヌエット・アンリは、かつてフランスを追われた[[ユグノー]]の末裔。レーモンには兄弟二人、姉妹四人がいる。数学者として有名な[[パウル・デュ・ボア・レーモン]]は弟。家庭ではドイツ語とともに、フランス語も多く話されていた。
 
ベルリンにあるフランス語[[ギムナジウム]]で教育を受ける。19歳でギムナジウムを終え、[[ボン]]の大学に進む。当初はこれといった志望分野がなく、様々な分野の講義を手広く受講していた。その後、[[ベルリン大学]]の生理学者[[ヨハネス・ミュラー]]の元で助手をしていたエズアルト・ハルマンと知り合い、[[医学]]の道に進むことを決める。ハルマンの仲介でヨハネス・ミュラーと知りあう。
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== 電気生理学 ==
師[[ヨハネス・ミュラー]]の助手として、動物の筋肉中での電気現象の研究を始めた。[[筋肉]]の活動に伴う電気的現象を研究、[[電気生理学]]を科学の一分野として確立する基礎を築いた。1850年、[[ガルバノ・メーター]](電流計)を研究に採用、また電磁誘導を用いた刺激実験も行った<ref name="Pearce"/>
 
== 自然認識の限界 ==