「儒理尼師今」の版間の差分

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== 歌楽として伝えるもの ==
国内に慰撫の施しをしたとき、このことに悦んだ国民が[[兜率歌]](とそつか)を作ったといい、これが新羅での初の歌楽とされる。また、[[新羅#六部|六部]]の改組を行った後に、六部を二つに分けてそれぞれに王女を配して二組に別け、[[7月16日 (旧暦)|7月16日]]から[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]までの間、二組が互いに麻を紡ぎ、どちらがたくさん作れるかの競争をさせたという。負けたほうが勝ったほうに食べ物を捧げ、皆で歌ったり舞ったりする「[[秋夕|嘉俳]]」という祭りとなった。負けたほうが感嘆して発する「会蘇」という声色が哀れながらも趣のあるものだったので、この声色に因んだ[[会蘇曲]](かいそきょく)という歌が作られた。
 
== 参考文献 ==