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'''ロバート・バーンズ'''('''Robert Burns'''、[[1759年]][[1月25日]] - [[1796年]][[7月21日]])は[[スコットランド]]の国民的[[詩人]]である。[[スコットランド語]](Scots language)を使った詩作で知られ、スコットランド民謡の収集、普及にもつとめた。
 
== 生涯 ==
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[[画像:Geburtshaus RobertBurns 3 10x15.jpg|thumb|バーンズの生家(スコットランド、エアシャー)]]
[[画像:Burns National Monument Edinburgh.jpg|thumb|バーンズ・モニュメント(スコットランド、[[エディンバラ]])]]
[[1759年]]、バーンズはスコットランド南西部[[サウス・エアシャイア]]、アロウェー(Alloway)の貧しい小作農の家に7人兄弟の長男として生まれた。敬虔な[[改革長老教会|長老教会]]信徒で教育熱心なロバートの父親は息子たちに読み書きを学ばせ、ロバートは弟とともに農場で働きながら詩を作り始める。
 
[[1781年]]、[[ウィリアム・ウォレス]]を英雄と仰ぎ[[アメリカ独立戦争]]の精神に共感していたロバートは[[フリーメイソン]]に加入、そこで得た人脈はのちの彼の詩人としての成功の足がかりとなった。[[1783年]]から[[スコットランド語]]のエアシャイア方言を使った詩作を行ない、[[1786年]]には初の詩集(''Poems- Chiefly in the Scottish Dialect'')が出版される。これは今日ではキルマーノック版(Kilmarnock Edition)と呼ばれるものである。この成功を受けて、翌[[1787年]]には[[エディンバラ]]でも彼の詩集が出版される。
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私生児の養育費も含めてかさむ家計を支えるには詩作で得た収入では足りず[[1789年]]、ロバート収税吏の仕事につく。この時期、『シャンタのタム』(''Tam o'Shanter'')や『我が恋人は紅き薔薇』(''Red, Red Rose'')などの優れた作品が生み出された。また自ら収集し、新たに作詞し直した民謡を''Musical Museum''や''Select Collection of Original Scottish Airs''などで発表した。
 
詩人としての大きな名声を得た一方でロバートは[[リウマチ熱]]に苦しみ[[1796年]]、心疾患のため37歳で没した。
 
== 評価 ==
「農民詩人」(Ploughman Poet)、「スコットランドの最愛の息子」(Scotland's favourite son)、「エアシャーの大詩人」(Bard of Ayrshire)とも呼ばれるスコットランドの国民的詩人である。
 
スコットランド語を詩作に用いたことでよく知られるが大半の彼の作品は[[英語]]で書かれ、その一部にスコットランド語を含めた形式のものである。このことによって、スコットランド語話者のみにとどまらない読者層を獲得したともいえる。その作品には弱い立場にあるものへの愛情、社会の不正義への風刺が含まれている。
 
ロバートはイギリスにおける[[ロマン主義]]運動の先駆者とされ、今日でもスコットランド文化の象徴的存在として影響力をもっている。[[クライズデール銀行]]が発行する[[スターリング・ポンド紙幣|ポンド紙幣]]に肖像が使用されている。
 
=== 愛唱されるバーンズの歌 ===
ロバートが収集し自ら改作した数々のスコットランド民謡は世界各地で親しまれている。日本でも''[[オールド・ラング・サイン|Auld Lang Syne]]''は『[[蛍の光]]』として、''Comin Thro' The Rye''は『[[故郷の空]]』としてなじみ深い。
 
''Auld Lang Syne''は、スコットランドの新年、[[ホグマネー]]で集まった人々全員で歌われ、また、イギリスの夏の終わりと秋の始まりを告げる音楽祭[[BBCプロムス]]の最終夜の最後に演者と観客全員で手を繋ぎながら歌われる。''Scots Wha Hae''は長くスコットランド[[国歌]]に準ずる歌として扱われてきた。[[スコットランド国民党]]の党歌としても知られる。[[1999年]][[7月1日]]、[[スコットランド議会]]が開会した際には''A Man's A Man for A' That''が歌われた<ref>[http://vr-sp-archive.lbwa.verio.net/archive/1st_july_1999_050504.wmv スコットランド議会テレビ(動画1)]<br>なお、[[2004年]][[10月9日]]のスコットランド議会議事堂完成式典ではAuld Lang Syneが歌われている([http://vr-sp-archive.lbwa.verio.net/archive/end_ceremony_091004.wmv 同(動画2)])。</ref>
''Scots Wha Hae''は長くスコットランド[[国歌]]に準ずる歌として扱われてきた。[[スコットランド国民党]]の党歌としても知られる。[[1999年]][[7月1日]]、[[スコットランド議会]]が開会した際には''A Man's A Man for A' That''が歌われた<ref>[http://vr-sp-archive.lbwa.verio.net/archive/1st_july_1999_050504.wmv スコットランド議会テレビ(動画1)]<br>なお、[[2004年]][[10月9日]]のスコットランド議会議事堂完成式典ではAuld Lang Syneが歌われている([http://vr-sp-archive.lbwa.verio.net/archive/end_ceremony_091004.wmv 同(動画2)])。</ref>。
 
=== バーンズ・ナイト/バーンズ・サパー ===
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== 関連項目 ==
*[[ロバート・バーンズ (カクテル)]] - ロバート・バーンズをモチーフにしたと言われている[[カクテル]]。
*[[タム・オ・シャンター序曲]] - [[マルコム・アーノルド]]作曲の序曲。
 
== 外部リンク ==