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== 系譜 ==
江川家は中世以来の名家であり、始祖が[[清和源氏]][[源経基]]の孫・[[源頼親]]であることもはっきりしている。この頼親の血統は[[大和源氏]]と呼ばれ、初め'''宇野氏'''を名乗った。伊豆には平安末期に移住し、[[宇野治長]]が[[源頼朝]]の挙兵を助けた功で江川荘を安堵されたことにより、領域支配が確定した。その後[[鎌倉幕府]]・[[後北条氏]]など、その時代の支配者に仕えた。江川家と改めたのは[[室町時代]]のようである。
 
[[天正]]18年([[1590年]])、[[豊臣秀吉]]による[[小田原征伐]]の際には、江川家28代英長は寝返って[[徳川家康]]に従い、代官に任ぜられた。以降江川家は、[[享保]]8年([[1723年]])- [[宝暦]]8年([[1758年]])の間を除き、[[明治維新]]まで[[相模国|相模]]・伊豆・[[駿河国|駿河]]・[[甲斐国|甲斐]]・[[武蔵国|武蔵]]の[[天領]]5万4千[[石 (単位)|石]]分(後26万石に膨れ上がる)の代官として、民政に当たった。