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'''アントニ・ファン・ノールト'''('''''Anthoni(Anthoni van Noordt''''', [[1619年]]頃 [[アムステルダム]] - [[1675年]][[3月23日]] アムステルダム))は、[[オランダ]]の音楽家。
 
== 生涯 ==
ファン・ノールトはアムステルダムに生まれ、その生涯のほとんどをここで過ごした。[[1652年]]、Nieuwe Zijds Kapelの[[オルガン]]奏者に任じられた。[[1664年]]には、新教会の[[オルガン]]奏者に任じられ、[[1673年]]までその任にあった。兄にヤコブ・ファン・ノールトがいる。ヤコブは、旧教会の[[オルガン]]奏者であった。ファン・ノールト兄弟は[[スウェーリンク]]父子の次世代に属し、[[ディルク・ヤンスゾーン・スウェーリンク]]([[1591年]]-[[1621年]])<ref>ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンクの息子。</ref>を継ぐ[[アムステルダム]]の重要な[[オルガン]]奏者であった。
 
== 作品 ==
ファン・ノールトは、[[1659年]]に『[[詩篇]]と[[幻想曲|ファンタジア]]の[[楽譜]]集』<ref>原題は「Tabulatuurboeck van psalmen en fantasyen」。</ref>を出版した。出版譜は[[ベルリン]]国立[[図書館]]に伝わっていたが、[[第二次世界大戦]]に際して焼失してしまった<ref>マックス・ザイフェルトの校訂譜([[1896年]])に、「詩篇第1515番」の第3変奏部分のファクシミリが掲載されている。原本の面影を伝える唯一のものである。ヤン・ファン・ビーゼンの校訂譜([[1976年]])にも転載されている。</ref>。しかし、アウグスト・リッターの手になる写本([[1882年]])が残っており、現行の楽譜はすべてこれに拠って行われている<ref>マックス・ザイフェルトの校訂譜はリッター写本を底本にし、ヤン・ファン・ビーゼンの校訂譜はリッター写本とザイフェルト校訂譜を底本にしている。</ref>。これには、[[オルガン]]のための7曲の[[詩篇]]曲([[変奏]]付き)と6曲の[[ファンタジア]]が収められている。そしてこれらは、ファン・ノールトの現存する作品の全てでもある。[[詩篇]]曲と[[ファンタジア]]は、[[ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク|スウェーリンク]]と北[[ドイツ]]・[[オルガン]]楽派の伝統に則ったものであり、ファン・ノールトの卓越した[[対位法]]の妙が見て取れる。
 
== 注 ==
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<references/>
</div>
 
 
== 参考文献 ==
=== 研究文献 ===
* Jan van Biezen, ''Monumenta Musica Neerlandica Ⅸ'', Amsterdam: Vereniging voor Nederlandse Muziekgeschiedenis,1976
 
 
=== 校訂譜 ===
* Jan van Biezen, ''Monumenta Musica Neerlandica Ⅸ'', Amsterdam: Vereniging voor Nederlandse Muziekgeschiedenis,1976
 
 
=== 演奏録音 ===
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[[Category:オランダのオルガニスト]]
[[Category:アムステルダム出身の人物]]
[[Category:オランダ史の人物]]
[[Category:ネーデルラント連邦共和国]]
[[Category:1619年生]]
[[Category:1675年没]]