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'''南條 範夫'''(なんじょう のりお、[[1908年]][[11月14日]] - [[2004年]][[10月30日]])は、[[小説家]]、[[経済学者]]。本名、'''古賀英正'''。[[東京市]]出身。「條」は旧字のため'''南条範夫'''とも表記される。'''残酷もの'''と呼ばれる独特の作品や剣豪小説をはじめ、幅広い[[歴史小説]]、[[時代小説]]で知られる。
 
== 経歴 ==
東京[[銀座]]の南紺屋町に、代々の医師の家に生まれる。8歳から中国・[[青島市|青島]]の小中学校を出て、[[山口高等学校 (旧制)|山口高等学校]]から1930年[[東京大学|東京帝国大学]]法学部卒業、1933年同経済学部卒業、助手となる。1936年[[満鉄調査部]]東京支社に入り、1937年[[宮崎正義]]が率いる[[日満財政研究会]]に、法学部助手だった[[戒能通孝]]らとともに参加<ref>小林英夫『超官僚』</ref>。軍による東亜支配を経済的に支える統制経済計画の策定に深く関与する。1940年東亜経済懇談会参事、[[中央大学]]経済学部講師、1941年日本出版文化協会海外課長、ついで企画課長、1943年上海で[[法幣]]の価値維持工作に従事、1944年三井本社研究室次長、敗戦後1946年日本経済再建委員会常務理事、1949年[[國學院大學]]政経学部教授。1951年都市不燃化同名常務理事、同年『朝日文芸』の懸賞小説に入選、1952年『[[サンデー毎日]]』の懸賞小説に入選、[[立正大学]]教授。1953年「オール新人杯」に入選、[[直木賞]]候補となる。1954年二度直木賞候補、1956年首都圏整備委員会専門委員となり、「灯台鬼」で直木賞を受賞<ref>「南条範夫年譜」『カラー版国民の文学』河出書房</ref>
 
日本経済再建協会の雑誌「経済再建」に随筆を書いていたのが好評だったため、1950年に『[[週刊朝日]]』の懸賞小説朝日文芸賞に応募して入選(「出べそ物語」ペンネーム南条道之介)。1952年に『サンデー毎日』の懸賞小説に入選(「マルフーシャ」)。同年から[[立正大学]]教授。1952年に初めて書いた歴史物「子守の殿」で第1回[[オール讀物新人賞|オール讀物新人杯]]受賞。また1952年『[[サンデー毎日]]』で「『あやつり組』由来記」で入選、千葉賞で佳作。1953年から54年にかけて、「子守の殿」「不運功名譚」「水妖記」「畏れ多くも将軍家」で直木賞候補となる。1956年首都圏整備委員会専門委員。この年に「灯台鬼」で直木賞を受賞<ref>「南条範夫年譜」『カラー版国民の文学』河出書房</ref>。一躍人気作家となり、多くの時代小説、歴史小説を執筆。この頃には経済団体の仕事はやめて、国學院大学と中央大学の講師だけは続けていた。
教授を務めながら、時代小説作家として活躍、1979年國學院大学を定年となった。多数の作品が映画などで映像化された。『[[駿河城御前試合]]』は、[[平田弘史]]、[[とみ新蔵]](『[[無明逆流れ]]』)、[[山口貴由]](『[[シグルイ]]』)によって漫画化された。陰惨な展開・結末の小説を多く残し、それらは「残酷小説」とも称される。最晩年まで執筆を続け、2004年[[肺炎]]のため死去。享年95。
 
教授を務めながら、時代小説作家として活躍、1979年國學院大学を定年となっって小説執筆に専念。多数の作品が映画などで映像化された。『[[駿河城御前試合]]』は、[[平田弘史]]、[[とみ新蔵]](『[[無明逆流れ]]』)、[[山口貴由]](『[[シグルイ]]』)によって漫画化された。陰惨な展開・結末の小説を多く残し、それらは「残酷小説」とも称される。最晩年まで執筆を続け、2004年[[肺炎]]のため死去。享年95。
== 略歴 ==
 
=== 略歴顕彰 ===
* [[1951年]]:週刊朝日懸賞小説に入選(『出べそ物語』、デビュー作)
* [[1953年]]:第1回[[オール讀物新人賞|オール讀物新人杯]]受賞(『子守の殿』)
* [[1956年]]:[[直木賞]]受賞(『燈台鬼』)
* [[1975年]]:[[紫綬褒章]]受章
* [[1982年]]:[[吉川英治文学賞]]受賞(『細香日記』)、[[勲三等]][[瑞宝章]]受章
 
== 著書作品 ==
『[[無明逆流れ]]』(1957年)に始まる諸短篇や、映画『[[武士道残酷物語]]』の原作となった『被虐の系譜』(1963年)、『残酷物語』(1959年)、『古城物語』(1961年)などで残酷もののブームを巻き起こし、また組織における人間疎外という視点から「マゲをのせた現代小説」とも呼ばれた。一方で、奔放な武芸者[[月影兵庫]]のシリーズ(1958〜)などの痛快な剣豪小説も人気があり、[[五味康祐]]、[[柴田錬三郎]]とともに、第一次剣豪ものブームをになった。
 
『わが恋せし淀君』(1958年)では、[[タイムトラベル]]で現代人が過去を訪ねるという[[サイエンス・フィクション|SF]]的な設定も使っている。
『抛銀商人』(1962年)では歴史上の商人達を題材にし、[[岩崎弥太郎]]の生涯を描いた『曉の群像』(1964年)など経済問題を盛り込んだ作品も手がける。現代を舞台にした[[推理小説]]として『からみ合い』(1959年)、『第六の容疑者』(1960年)などがあり、『参謀本部の密使』(1966年)では軍事探偵[[明石元二郎]]を取り上げている。
 
===著作リスト===
*[[燈台鬼 (南條範夫)|燈台鬼]] (河出書房 1956年 のち文春文庫)
*秘剣流れ星 (東京文芸社 1957年(新・小説選書) のち春陽文庫、徳間文庫)
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*# 月影兵庫 放浪帖 ISBN 978-4334705367
 
===著作リスト(古賀英正 名義 ===
*ソヴェート農業経済論 (同友社 1949年)
*支配集中論 (有斐閣 1952年)
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*徳川家康 (河出書房 1960年)
*考証江戸事典 (人物往来社 1964年) ※[[村雨退二郎]]との共著
 
==原作作品==
;映画
*『月影兵庫 上段霞斬り』[[安田公義]]監督、1959年
*『[[武士道残酷物語]]』[[今井正]]監督、1963年
;テレビドラマ
*『[[素浪人 月影兵庫]]』1965-68年
*『[[元禄太平記]]』1975年
;漫画
*[[平田弘史]]『駿河城御前試合』
*[[とみ新蔵]]『[[無明逆流れ]]』
*[[山口貴由]]『[[シグルイ]]』2003-10年
 
== 脚注 ==
<references/>
 
==参考文献==
*[[尾崎秀樹]]『大衆文芸地図』桃源社 1969年
*尾崎秀樹『殺しの美学 チャンバラ剣豪列伝』[[旺文社]] 1985年
 
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