「アルフォンソ2世 (アストゥリアス王)」の版間の差分
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[[カール大帝]]と相互に交流があったことが知られる。そこで何が行われたは不明だが、796年、797年、798年の3度、[[ガラエキア]]の代表団が[[フランク王国|フランク]]宮廷に送られた証拠があるからである。一説では、アストゥリアス東部へのイスラム教徒の攻撃から王国の統一性を維持しようとしたと考えられている。さらには、カール大帝が積極的に戦っている[[養子的キリスト論]]者との関係があったと信じられている。
彼は798年にコルドバの太守支配下の[[リスボン]]を荒らし、825年に
彼は自らの宮廷をオビエドに固定し、教会や宮殿を数箇所建てた。彼の治世のオビエド城外にサントゥリャーノ教会が建てられている。
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