「トイトブルク森の戦い」の版間の差分

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==概要==
ローマ軍の総司令官は[[プブリウス・クインクティリウス・ウァルス]] ([[:en:Publius Quinctilius Varus|en]])であった。彼は由緒正しい家柄の貴族であり、[[7年]]に[[ゲルマニア]]総督に就任した。ウァルスの軍は、3個[[ローマ軍団]](第17軍団([[:en:Legio XVII|en]])、第18軍団([[:en:Legio XVIII|en]])、第19軍団([[:en:Legio XIX|en]]))と、[[アウクシリア]](補助兵)6個大隊、同盟軍騎兵3個大隊から構成されていた。
 
ウァルスはこの地のゲルマン諸部族に貢ぎ物を求めるだけで、あえて征服しようとはしなかった。ケルスキ族他の諸部族はウァルスのこの平和主義をうまく利用し、戦争の準備ができるまでの時間稼ぎをした。機が熟すと遠方の部族がローマ帝国に対して反乱を起こした。ゲルマン人の一部族であるケルスキ族からの援助を取り付けたウァルスは、軍を組織してこれらの部族を討伐するための軍事行動を開始した。