「歴史の研究」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
1行目:
『'''歴史の研究'''』
==概要==
1889年に生まれたトインビーは、[[オックスフォード大学]]で古典学を学び、[[外務・英連邦省|外務省]]で[[パリ講和会議
まずトインビーは国家を中心とする歴史観を否定し、文明社会を中心とした歴史観を提示する。トインビーは西欧文明の優位を退けながら、第一代文明である[[シュメール]]、[[古代エジプト|エジプト]]、[[ミノア文明|ミノス]]、[[インダス文明|インダス]]、[[殷]]、[[マヤ文明|マヤ]]、[[アンデス文明|アンデス]]、第二代文明であるヘレニック([[古代ギリシア|ギリシア]]・[[古代ローマ|ローマ]])、[[歴史的シリア|シリア]]、[[ヒッタイト]]、[[バビロニア]]、[[インド]]、[[中国]]、[[メキシコ]]、[[ユカタン半島|ユカタン]]、そして第三代文明である[[ヨーロッパ]]、[[ギリシア正教]]、[[ロシア]]、[[イラン]]、[[アラブ]]、[[ヒンドゥー]]、[[極東]]、[[日本]]、[[朝鮮]]、以上の21の文明を世界史的な観点から記述することを試みる。トインビーはこの第三代までの諸文明は歴史的に概観すると親子関係にあり、文明は発生、成長、衰退、解体を経て次の世代の文明へと移行すると考えていた。
トインビーがこのような歴史観に基づきながら説くところでは、文明は外部における自然・人間環境と創造的な指導者の二つの条件によって発生し、[[気候変動]]や自然環境、[[戦争]]、民族移動、[[人口]]の増大の挑戦に応戦しながら成長する。しかし文明は挑戦に応戦することに失敗することによって弱体化をはじめ、衰退に向かうようになる。そこで指導者は新しい事態への対応能力を失い、社会は指導者に従わなくなり、統一性が損なわれる。最後には内部分裂が進むことで、指導者は保身のために権力を強化し、結果的に大衆は[[プロレタリアート]]による反抗を通じて文明は解体される、とトインビーは定式化する。
==参考文献==
*長谷川松治訳『世界の名著
*「歴史の研究」刊行会訳『歴史の研究』経済往来社、1966年-1972年
{{DEFAULTSORT:れきしのけんきゆう}}
16行目:
[[Category:1930年代の書籍]]
[[Category:歴史書]]
[[bg:Изследване на историята]]
|