「三八式十糎加農砲」の版間の差分

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両者は同一の仕様に基づいており、機能性能ともほぼ同様であったが、構造上は多少異なる点があった。昭和に入って'''三八式十糎加農砲'''と改称された。
 
閉鎖機は[[段隔螺式]]で、装填は分離薬筒方式。8馬輓曳で運動できる建前であったが、運動性は極めて低いものであった。大正11年(1922年)には[[キャタピラー (企業)|ホルト]]装軌式5tトラクターで牽引するよう改められた。
 
本砲は大正3年(1914年)、[[青島の戦い|青島攻略戦]]に参加したが、以降は第一線で用いられることはなかった。対砲兵戦に用いるには射程が不足であり、重砲を機械化牽引する時代に入るとかえって敵砲兵に一方的に[[アウトレンジ戦法|アウトレンジ]]される懸念があった。このため昭和初期には予備保管兵器となったが、[[太平洋戦争]]開戦後は重砲の不足から[[東京湾要塞]]の砲台に引っ張り出され、[[房総半島]]の金谷砲台と洲崎第二砲台に据付けられた。