「シリアの歴史」の版間の差分

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===先史 ===
{{main|:en:Prehistory of the Southern Levant|エブラ}}
 
この地域は世界で最も古い歴史を持つ土地と言われ、紀元前1万年頃に[[氷河期]]が終わり、[[地球]]が温暖化が始まった紀元前8000年頃にはこの地域では[[ムギ|麦]]による農耕が始められた。紀元前6000年ごろには「[[肥沃な三日月地帯]]」の一部として灌漑農業が発展し、紀元前3000年ころには農耕に富を基盤とした[[文明]]の萌芽があった。
 
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===ギリシアとローマの支配 ===
 
アケメネス朝ペルシアの支配は長く続いたが、[[アレクサンドロス3世|アレクサンドロス大王]]の征服を受けると、急速にギリシア化が進んだ。紀元前321年にはアレクサンドロス帝国は分裂し、紀元前301年に[[セレウコス朝|セレウコス朝シリア]]が建国された。セレウコス朝シリアはインドからイランをへてトルコにいたる広大な領土を持っていたが、紀元前200年ころから[[パルティア]]、[[バクトリア]]の侵食を受け縮小。さらに[[ポエニ戦争]]にかかわったことから[[古代ローマ]]と交戦状態となり、衰退し紀元前64年にローマに併合された。
 
ローマの支配下では[[パルミラ]]など諸都市が大いに栄えた。
{{main|シリア属州}}
ローマの支配下では[[パルミラ]]など諸都市が大いに栄えた。ローマが東西に分裂するとシリアは[[東ローマ帝国]]の版図に入る
 
===イスラム圏へ===
{{main|ウマイヤ朝}}
ローマが東西に分裂するとシリアは[[東ローマ帝国]]の版図に入る。だが7世紀にはイスラム勢力が勃興し、イスラム圏に組み入れられた。[[ウマイヤ朝]]のもとでは[[ダマスカス]]が首都とされた。その後[[754年]]に樹立された[[アッバース朝]]は[[バグダッド]]を首都としたため、シリア地方に転落した。しかし、バグダッドからはシリアのダマスカスに通じる門と街道が整備された。中央アジアから[[トルコ系]]遊牧民が渡来し、[[セルジューク朝]]を樹立すると、シリアには[[シリア・セルジューク朝]]が成立した。その頃[[ヨーロッパ]]から[[十字軍]]が侵攻し激戦が展開された。さらに[[フレグ]]率いる[[モンゴル人]]がこの地を征服[[イル汗国]]を建国した。その後シリアは[[エジプト]]の[[マムルーク朝]]の支配を受けることになった。北方で[[オスマン帝国]]が興隆し、マムルーク朝が滅ぼされるとシリアはオスマン帝国の支配を受けることになった。
 
==フランス占領期==
 
{{main|:en:French Mandate of Syria|フランス委任統治領シリア}}
[[1920年]]、[[シリア・アラブ王国]]の独立は[[ハーシム家]]の[[ファイサル1世]]が国王に即位することで達成された。彼は後に[[イラク王国]]の王になる。しかし、彼のシリアにおける治世は数ヶ月だけで終焉した。[[マイサラムの戦い]]における[[シリア・アラブ軍]]と[[フランス軍]]との間の衝突の後である。