「ヴァルター・フレミング」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Lotuspond (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
3行目:
ドイツのザクセンベルグ(Sachsenberg)生まれ。父親カール・フリードリッヒ・フレミング(Carl Friedrich Flemming)は有名な精神医学者。ロストク大学(University of Rostock)大学で医学を学び、従軍医として働いた後、プラハ大学(University of Prague)に職を得る。1876年より、キール大学(University of Kiel)の解剖学教授。
 
細胞の固定法・染色法を考案開発・改良に貢献。[[細胞核]]内にアニリンで強く染まる構造を見いだし、これを[[クロマチン]](chromatin:染色質)と名付ける。さらに[[細胞分裂]]時には、クロマチンが糸状の構造体に変換すること、さらにそれが縦裂すること(現在の言葉では、姉妹染色分体の分離)を発見。これらの結果は、1882年、「細胞質、核、細胞分裂 (Zell-substanz, Kern und Zelltheilung)」にまとめられ、その後の'''[[有糸分裂]]'''研究の基礎をつくる。有糸分裂 (mitosis) も彼の命名による。mitosisとは、ギリシャ語で糸 (thread) の意。ちなみに[[染色体]](chromosome)という語は、1988年ヴァルデヤー(Heinrich Wilhelm Waldeyer)によって初めて用いられた。
 
フレミングは、[[メンデル]](1822-1884)の業績を知らなかったといわれ、自らの観察と遺伝の関係に明確に言及することはなかった。1900年、メンデルの法則が”再発見”され、フレミングの観察の本質が再評価されることになった。