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ドイツのザクセンベルグ(Sachsenberg)生まれ。父親カール・フリードリッヒ・フレミング(Carl Friedrich Flemming)は有名な精神医学者。ロストク大学(University of Rostock)大学で医学を学び、従軍医として働いた後、プラハ大学(University of Prague)に職を得る。1876年より、キール大学(University of Kiel)の解剖学教授。
細胞の固定法・染色法を
フレミングは、[[メンデル]](1822-1884)の業績を知らなかったといわれ、自らの観察と遺伝の関係に明確に言及することはなかった。1900年、メンデルの法則が”再発見”され、フレミングの観察の本質が再評価されることになった。
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