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[[嘉永]]3年([[1850年]])には約半分の知行地を旧領である三池郡内と領地替えを行った。
 
慶応4年(1868年)、第3代藩主・[[立花種恭|種恭]]は外国奉行に推され、慶応4年([[1866年]])1月10日に[[老中格]]の会計総裁となったが、すでに[[戊辰戦争]]が始まっており、[[鳥羽伏見の戦い]]において敗北を喫した直後であった。同24日、種恭はその職を辞す。同年3月2日には三池陣屋の藩士の主張を入れて[[官軍]]側につくことにし、江戸経由で新政府へと出向いたが、国許では家老屋山外記が下手渡藩を代表して[[奥羽越列藩同盟]]に調印するなど正反対の行動をとり、後に官軍側についたことが判明して奥羽越列藩同盟盟主の仙台藩から怒りを買った。同年8月14日、200名の仙台藩兵が領内に進入。同16日には陣屋を焼き討ちされ、領内は仙台兵と下手渡藩兵および来援の[[柳河藩]]兵との戦場となった。以上の経緯で藩庁を焼失したため、同年9月に三池に移り、下手渡藩は廃藩となった。一方では下手渡の旧領は分領地として三池藩に残された。現在下手渡の地には旧藩士により建てられた「懐古の碑」が建てられている。
 
===歴代藩主===