「中部リトアニア共和国」の版間の差分

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ブリュッセルでの和平交渉が失敗に終わると、中部リトアニアの緊張は高まっていった。他の民族からの支持を得るために、ポーランド人・リトアニア人の双方によって選挙向けの[[プロパガンダ]]が展開された。ポーランド政府はまた、[[リトアニア語]]の新聞の発行停止<ref name=cepenas/>や選挙妨害<ref name="Documents">{{cite book | title=Documents diplomatiques. Conflit Polono-Lituanien. Questions de Vilna 1918-1924 |year=1924}}</ref>など様々な形で強引な政策に訴えた。選挙は行われたものの、リトアニア人とユダヤ人の大半、そしてベラルーシ人の一部は選挙をボイコットした。他方、ポーランド人は大半が投票を行った<ref name=vote>[[#Kiaupa, 2004|Kiaupa, 2004]].</ref>。
 
リトアニアは選挙結果を認めなかったが、1922年3月22日、ポーランド議会([[セイム]])は中部リトアニアのポーランドへの編入を承認し、最終的には、新しく設置された[[ヴィルノ県 (1923-1939)|ヴィルノ県]]に編入されることとなった。リトアニアはこれらの措置を認めず、いわゆるヴィリニュス地方を自国領土の一部として扱い、ヴィリニュスを憲法上の首都に規定、[[カウナス]]を臨時の首都とした。
 
=== その後 ===