「山辺の道」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2012年6月8日 (金) 14:19 (UTC)}}
[[ファイル:Yamanobe-no-michi02s3200.jpg|thumb|220px|山辺の道]]
'''山辺の道'''(やまのべのみち)は[[大和の古道|大和の古代道路]]のひとつで、[[奈良盆地]]の東南にある[[三輪山]]のふもとから東北部の[[春日山 (奈良県)|春日山]]のふもとまで、盆地の東縁、春日断層崖下を山々の裾を縫うように南北に通である。'''山の辺の道'''とも表記される。
 
== 概説 ==
[[ファイル:Yamanobe-no-michi01s3872.jpg|thumb|220px|「山辺の道」風景]]
山辺の道の道程は、その時々の交通事情により少しずつ変化してきている。山辺の道の名称は、『[[古事記]]』では[[崇神天皇]]の条「御陵は山辺の道のまがりの岡の上にり」、同じく[[景行天皇|景行紀]]には「御陵は山辺の道上にり」とあり、これらに由来すると思われる。
 
乃楽山([[平城山丘陵|奈良山]])で討たれた[[平群鮪]]を追う影媛([[物部麁鹿火]]の娘)を詠んだ歌に「石の上 布留を過ぎて 薦枕 高橋過ぎ 物多に 大宅過ぎ 春日 春日を過ぎ 妻隠る 小佐保を過ぎ …」とあり([[武烈天皇]]即位前紀)、布留(ふる)・高橋・大宅・春日・佐保を経て乃楽山に至っているが、山辺の道の延長であろう<ref name="kadokawa">[[角川書店]]『[[角川日本地名大辞典]] 29 奈良県』</ref><ref name="heibon">[[平凡社]]『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』</ref>。
 
この道は奈良から石上・布留([[天理市]])を経て三輪([[桜井市]])に通じていたとみられるが、しだいに西側の[[上街道 (上ツ道)|上ツ道]]が多く用いられるようになった<ref name="heibon" />。
 
この山辺の道は、[[弥生時代]]後期には、[[布留遺跡]]と[[纏向遺跡]]を結ぶ道であったとも推測されている。
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* [[天理市立黒塚古墳展示館]]
* [[トレイル青垣]]
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==