「イタリア人」の版間の差分

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|民族語名称 = Italiani
|画像 = [[File:Famous Italians Collage.jpg|300px]]
1列目:[[アレッサンドロ・ボルタ]]、[[リータ・レーヴィ=モンタルチーニ]]、[[ヴィットリオ・ガスマン]]、[[ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ]]<br />
|画像の説明 = 代表的なイタリア人の一覧<br/><small>
12列目: [[アレッサンドカルロ・ドーニ]]{{·}}[[リータ・レーヴマルテ=モンタノ・マティーニ]]{{·}}[[ヴィットリピエル・パガスマンパゾリーニ]]{{·}}[[ミケランジェロエレーナメリコルナダ・カラヴァッジオピスコピア]]<br />
23列目:[[レオナド・ダ・ヴィンチ]]、[[アレッサンドロ・ドーニ・ピエロ]]{{·}}[[マルティノリアマルモンッソ]]{{·}}[[ピエル・パガリレパゾーニ]]{{·}}[[エーナ・コルナーロ・ピスコピア]]<br />
34列目:[[レオナジョド・ーノヴィンチブルーノ]]{{·}}[[レッサンドロ・ピエロティーニ]]{{·}}[[マリアジャンロレテッソツォ・ベルニ]]{{·}}[[ガリレオウンベルトガリレイボッチョーニ]]<br />
45列目:[[ジョルグラツィア・デレッーノ・ブルーノ]]{{·}}[[ミアルイジピランデティーニ]]{{·}}[[ジャン・ロサルヴァトーンツォベルニーニフィウメ]]{{·}}[[ベルニオボッチョーニグラムシ]]<br />
5列目:[[グラツィア・デレッダ]]{{·}}[[ルイジ・ピランデルロ]]{{·}}[[サルヴァトーレ・フィウメ]]{{·}}[[アントニオ・グラムシ]]
</small>
|人口 = 140,000,000人(イタリア系移民を含んだ数値)
|居住地 = {{flag|Italy}} 5500万人
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|宗教 = [[カトリック教会|カトリック]]
|言語 = [[イタリア語]](幾つかの[[地方言語]]を含む)
|関連 = [[ラテン系ギリシャ人]]、[[エトト系リア人]]、[[ギリシャ人|古代ギリシャラテン人]]、[[フランスローマ人]]、[[スペイン人]]、[[ポルトガルフランス人]]
|註 = {{reflist}}
}}
'''イタリア人''' (italiani) は
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== 国民としてのイタリア人 ==
{{独自研究|section=1|date=2010年12月}}
この場合の「イタリア人」はイタリア政府から公に国籍を与えられ自国民として認知された人々を指す。
国籍を取得する上において、他のイタリア人と同じ言語を用い、同じ民族的価値観を有する事が有利であるのは事実であるが、必ずしも必要という訳ではない。困難ではあるが、そうした要件を満たさずとも国籍を取得し「国民としてのイタリア人」という立場を得る事は可能なのである([[帰化]])。
 
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===民族の要件===
{{独自研究|section=1|date=2010年12月}}
民族とは「自分達は同じグループに属している」という仲間意識を持つ集団を意味する。故に人種の様な生物学的分類ではないし、一般に考えられがちな[[宗教]]・[[文化]]・[[言語]]が絶対的な決定要素になる訳でもない。それらは単に共通点が多ければ仲間意識を抱き易く、グループ化(=民族形成)し易いという事に過ぎない。故にイタリア民族の場合も、イタリア地方居住者に多く見られる特徴である[[コーカソイド]](白人)・[[イタリア語]]話者・イタリア文化の理解・イタリア的価値観の保持などが求められる事が多いが、それらも絶対条件という訳ではなく、決定要素となりうるのは周囲の認知と自らの自認と言えるであろう。
===歴史===
====ローマ時代====
「民族としてのイタリア人」が初めて歴史上に現れるのは[[古代ローマ]]時代にまで遡る。共和制中期、イタリア全土を統合する国家となった[[ローマ共和国]]は他のイタリア居住者を尊重しつつも、自国の中核を成す[[ローマ人|ローマ民族]]に関しては従来通り都市国家時代の所領に住まう民のみに限定し、あくまでも都市民族としての概念を維持していた。この事に不満を抱いた他のイタリア居住者達の反発によって一度は状況を改善する為の改革が試みられたものの、最終的には改革を主導した[[護民官]]マルクス・リヴィウス・ドゥルーススが謀殺された事で頓挫。平和的解決を絶望視した[[ローマ市民権|ローマ国籍]]を持たない非ローマ系イタリア居住者達の内、ピノチェント族・パエリーノ族・ヴィスティーノ族・マルッキーノ族・マルシ族・フレンターノ族・サムニウム族・ヒルピーノ族など八部族が反ローマを旗印に新国家「イタリア」を建国、都を[[コルフィニウム]]に定めた。
[[画像:It.JPG|thumb|245px|八つの非ローマ系イタリア人部族が盟約を誓う図を描いた銀貨]]
後の世において[[同盟市戦争]]として知られるこの大反乱は、[[執政官]]ルキウス・ユリウス・カエサルがイタリア全居住者に[[ローマ市民権|ローマ国籍]]を付与し、全イタリア人をローマ民族に統合する事で終息した。この戦いの後、目的を終えた「イタリア」は解体されるが、上述の全イタリア人への国籍付与によってそれまで都市民族の枠に留まっていたローマ民族はイタリア居住者全体を統合する地域民族へと発展を遂げ、以降、帝政ローマ後期に[[カラカラ]]帝が全ローマ領民へ国籍を付与し、地中海世界の居住者全てを統合・代表する世界民族へ更に発展するまでの長きに渡って「イタリア居住者を統合する民族」であり続けた。故に近世以降、イタリア・ナショナリズムが勃興すると、イタリアの民族主義者達は共和制中期から帝政中期まで(論者によってはアントニヌス勅令後も含む)ローマ民族が古代における実質的な「イタリア民族」であったと考え、ローマ文明に自民族の根源的ルーツを求めた者([[ジュゼッペ・マッツィーニ]]の青年イタリア党にもその端緒が伺える)が多かった。
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====現代のイタリア====
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== 脚注 ==
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|註 = {{reflist}}
 
== 参考文献 ==
*クリストファー・ダガン著 河野肇訳 『ケンブリッジ版世界各国史「イタリアの歴史」』