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[[File:Site of Nagoya Castle.jpg|thumb|240px|名古屋城二丸にある那古野城跡]]
'''那古野城'''(なごやじょう)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に[[尾張国]][[愛知郡 (愛知県)|愛知郡]]那古野(現[[愛知県]][[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]])にあった[[城]]。[[今川氏親]]([[今川義元]]の父)築城。[[織田信長]]生誕の城とされる。
 
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== 歴史 ==
那古野は、元々[[駿河国|駿河]]の[[今川氏]]が一時尾張[[守護]]を兼ねていた時期に庶流の[[那古野氏]]が領有し、[[斯波氏]]が尾張を領有した後もこの地に留まっていた。[[大永]]年間([[1521年]] - [[1528年]])に今川氏親が尾張進出の拠点として、現在の名古屋市中心部が広がる熱田台地(名古屋台地)の西北端に築城した「柳丸」を起源とする。[[今川氏]]の時代、この城の城主は氏親の一族で一説には那古野氏の家督を継いだともいわれている[[今川氏豊]]という人物であったと伝えられている。
 
[[1532年]]、[[勝幡城]]([[稲沢市]])の[[織田信秀]]は今川氏豊を滅ぼしてこの城を奪い、拠点を置いた。那古野城という城名はこのとき付けられたともいわれる。
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== 遺構 ==
[[中世]]城郭の那古野城は完全に[[近世]]城郭の名古屋城の郭内に取り込まれたため、中世の那古野城を直接に偲ばせる遺構はほとんど存在しない。ただ、名古屋城二丸は那古野城の故地であるとされており、現在、二丸内に那古野城址の碑が建っている。
 
また、那古野の地名は名古屋城の西南に残っている。ただしこちらは“なごの”と読む。