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その後はモンケの後ろ盾を得て事実上の君主となったが、これは{{要出典範囲|[[トルイ家]]の傀儡として立てられたに近かったとされる|date=2011年10月}}。[[1259年]]にモンケが死去し、[[クビライ]]と[[アリクブケ]]が後継をめぐって争うと([[モンゴル帝国帝位継承戦争]])、オルガナはアリクブケを支持し、その即位式にも参列した。しかし華北という肥沃な領土を掌握するクビライに対抗するため、アリクブケはチャガタイ・ハン国に干渉してオルガナを廃し、自らと親しかった[[アルグ]]を新君主に据えた。ただし、美貌の持ち主だったためにアルグの妃になるように強要され、オルガナはカラ・フレグとの間の息子であるムバーラク・シャーを後継者にしてくれることを条件に受け入れたという。
 
{{先代次代|[[チャガタイ・ハン国]]の君主|1252年 - 1260年|[[イェス・モンケ]]|[[アルグビシュカ]]</br>({{lang|en|Abishqa}})}}
 
{{DEFAULTSORT:おるかな}}