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'''ピエール=ポール・プリュードン'''
== 生涯 ==
[[クリュニー]]で石工の父親の10番目の息子として生まれる。16歳の時[[ディジョン]]のフランソワ・ドヴォージュの絵画学校に入学する。1780年に[[パリ]]へ出てきた。1782年に[[イタリア]]に留学し、[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]や[[コレッジョ]]に傾倒する。1784年に[[ローマ賞]]を受賞。帰国後はパリに滞在し、[[フランス革命]]中は革命派に荷担した。初期は生活のためにデッサンや肖像画を描いた。1798年に[[サン・クルー城]]の天井画の依頼を受け、以後同じような依頼が続く。
活動が盛んだったのは[[フランス第一帝政]]時代以後であって、1801年から[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン1世]]より肖像画や室内装飾の依頼を受けるようになる。特に皇后[[ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ|ジョゼフィーヌ]]に認められて『マルメ
1821年に弟子であった女流画家
== ギャラリー ==
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{{DEFAULTSORT:ふりゆとん ひえるほる}}
[[Category:フランスの画家]]
[[Category:フランス第一帝政]]
[[Category:1758年生]]
[[Category:1823年没]]
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