「アイルランドの歴史」の版間の差分

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=== ノルマン人の侵入 ===
[[Image:Ireland_tower_house_near_quin_county_clare.jpg|thumb|right|frame|クィン付近の塔]]
[[12世紀]]までに、アイルランド島は大小様々な王国によって分統治されるようになっていた。それらの内の一つ[[レンスター]]王'''Diarmait Mac Murchada'''(英語名'''Diarmuid MacMorrough''')は新たな[[上王]]'''Ruaidri mac Tairrdelbach Ua Conchobair'''指揮下の連合軍によって自身の王国から追放されていた。彼は王国を取り戻す為に[[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]の許可を得て[[ノルマン人]]の協力をあおぐことにした。[[1167年]]に1人目のノルマン人騎士'''Richard fitz Godbert de Roche'''がアイルランドに上陸し、その後[[1169年]]には[[ウェールズ]]および[[フランドル]]からのノルマン人主力部隊が[[ウェックスフォード]]に到着した。彼らの働きによりレンスター王国は復興し、[[ダブリン]]と[[ウォーターフォード]]がレンスター王の支配下に入った。王はノルマン人貴族の[[リチャード・ド・クレア]](ストロングボウ)を養子にすえて自身の後継者としたが、これにはイングランドのヘンリー2世が反発した。アイルランドにイングランドと相対するノルマン人王朝ができることに不安を持ったヘンリーはアイルランド侵攻を決意した。ヘンリーは軍を率いて[[1171年]]にウォーターフォードに上陸しアイルランド島へ上陸した初のイングランド王となった。ヘンリーはウォーターフォードとダブリンを王領都市として宣言し、自身の息子[[ジョン (イングランド王)|ジョン]]にアイルランドの支配権'''Dominus Hiberniae'''('''Lord of Ireland''', [[アイルランド卿]])を与えた。ジョンが兄[[リチャード1世 (イングランド王)|リチャード1世]]の後を継いでイングランド王位を継承すると、アイルランドもイングランド王国の支配下に入った。
 
=== アイルランド卿領 ===