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'''ウィリアム・カレン'''(William Cullen、[[1710年]][[4月15日]] - [[1790年]][[2月5日]])は[[スコットランド]]の医師、化学者である。1748年、[[エーテル (化学)|エーテル]]の気化による温度低下を利用して、少量の氷をつくる実験を行ったことで、冷凍技術の歴史の最初に挙げられる科学者である。
 
==生涯==
スコットランド、ラナークシャー郡ハミルトンに生まれた。[[グラスゴー大学]]、[[エディンバラ大学]]で医学を学び、医者となるが、自然科学、特に化学に興味をもった。1740年にグラスゴー大学で薬学の学位を取り、1747年には化学の講師となった。1755年にエディンバラ大学の化学の教授となった。1756年公開の実験で[[ジエチルエーテル]]の溶液を入れた容器を低圧にして、ジエチルエーテルを沸騰させ、その[[気化熱]]で周囲を冷却し、少量の氷を生じるのを示した。1748年にもグラスゴー大学同じ実験をしたとされる。実用化はされなかったが、冷凍装置の歴史に残ることとなった。
1777年に[[王立協会]]の会員に選ばれ<ref>{{FRS |code = NA7035 |title = Cullen; William (1710 - 1790) |accessdate = 2012年3月31日 }}</ref>、1783年にエディンバラ王立協会の創立メンバーとなった。
 
カレンは「スコットランドの啓蒙時代」の中心となった人物の一人で、哲学者[[デイヴィッド・ヒューム]]の友人でかかりつけ医師であった。1773年から2年間グラスゴー王立医学、外科学校(Royal College of Physicians and Surgeons of Glasgow)の学長を務め、1790年までスコットランド王の侍医を務めた。1777年に[[王立協会]]の会員に選ばれた<ref>{{FRS |code = NA7035 |title = Cullen; William (1710 - 1790) |accessdate = 2012年3月31日 }}</ref>。エディンバラ王立協会の認可を推進した一人で、1783年にエディンバラ王立協会は認可され創立メンバーとなった。
 
教師として多くの学生を育て、当時の医学に指導的な人物を育てた。その中にはアメリカのフィラデルフィアに最初の医学校を設立の中心となったベンジャミン・ラッシュ(Benjamin Rush)やイギリス海軍の医療の再建者となったギリバート・ブレーン(Gilbert Blane)やロンドン王立医学会の設立者となるジョン・レットサム(John Coakley Lettsom)がいる。また「ブラウニズム」と呼ばれる医療理論を提唱し、カレンと対立することになった[[ジョン・ブラウン (医師)|ジョン・ブラウン]]も弟子であった。「ブラウニズム」はドイツなどヨーロッパの各国に影響を与えた。
 
==冷凍技術への貢献==
1756年公開の実験で[[ジエチルエーテル]]の溶液を入れた容器を低圧にして、ジエチルエーテルを沸騰させ、その[[気化熱]]で周囲を冷却し、少量の氷を生じるのを示した。1748年にもグラスゴー大学同じ実験をしたとされる。実用化はされなかったが、冷凍装置の歴史に残ることとなった。
== 出典 ==
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