「立法議会」の版間の差分
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== 概要 ==
[[1789年]][[8月26日]]の[[人間と市民の権利の宣言|フランス人権宣言]]の原理は、その後の革命の急展開により修正を迫られた。[[平等主義]]の萌芽が慎重に取り除かれた[[1791年憲法]]では、人権宣言は冒頭に掲げられてはいるが、言論や身分的、あるいは経済的な自由の保証に留まって、[[ブルジョワジー]]の優位を確定するような方向で、議会や選挙制度にも制限が設けられた。同法においては、[[市民権]]は全フランス人が持つわけではなかった。[[参政権]]は「大きな社会的企業の株主たる」<ref name="yes">{{Harvnb|ソブール|小場瀬卓三|1953
[[1791年]][[9月30日]]、[[憲法制定国民議会|立憲議会]]が目的を達して解散した時、議員[[マクシミリアン・ロベスピエール|ロベスピエール]]の提案により、法を作った者がその法の恩恵に預かるのはいかがなものかということで、立憲議員であった者は新議会にはなれないように決議されたが、結果的に[[10月1日]]に集まった立法議員はほぼすべてが新人議員という'''経験に乏しい議会'''となった。「国民議会」は継続されたが、議員を総入れ替えしたわけである。しかし未熟な政治は、いたずらに対立するばかりで、無計画の[[フランス革命戦争|戦争]]を起こしたり、[[党派主義]]による政治の停滞を招き、従来の財政再建といった宿題を解決できぬまま、戦況の悪化や、[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]の[[拒否権]]乱発の前にさじを投げ、崩壊するに至った。空の国庫、暴落する為替通貨、[[アッシニア]]は紙同然となり、規律のない陸軍、士官のいない海軍、国内外の混乱と混沌が後には残された。これらが立法議会が1年も続かずに短命に終わった原因である。
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== 参考文献 ==
* {{Citation | last = 河野健二 | first =(編) | author-link =河野健二 | year =1989
* {{Citation | last=ソブール | first= アルベール| author2-link =小場瀬卓三| last2=小場瀬卓三 | first2=渡辺淳, (訳) | year =1953
* {{Citation | last = マチエ | first=アルベール | author-link =アルベール・マチエ| author2-link =市原豊太 | last2=市原豊太|first2 = ねづまさし共訳 | year =1989
* {{Citation | last = 中村 | first =義孝 | year =2003
== 関連項目 ==
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