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'''フランキー・イェール'''
[[ブラック・ハンド]]のボスとして[[ニューヨーク]]に君臨し、初期の有名な[[ゴッドファーザー]]といわれている。タバコ会社を所有して自分の顔をプリントしており、全国的な有名人だった。「闇の王子」「ブルックリンのプリンス」と呼ばれた。
情に
== プロフィール ==
イタリアの[[カラブリア州]]
思春期をファイブ・ポインツ・ジュニアで過ごし、17歳のときに[[ビリヤード]]場で乱闘騒ぎを起こして刑務所に入った。釈放後すぐに拳銃の不法所持で刑務所に送られ、その後も何度か逮捕された。24歳でマリア・デラピアと結婚。その後、ローザとイザベラの2人の娘が生まれる。
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[[1925年]]のクリスマス・パーティーのときイェールたちを襲撃しようと計画していたホワイト・ハンドのリチャード・"ペグレグ"・ロナガンたちをカポネたちと返り討ちにし殺害する。ホワイト・ハンド壊滅後は[[ニューヨーク港]]の絶対的な支配者となる。
=== 暗殺 ===
[[1928年]]にシチリア同盟のシカゴ支部長を巡ってカポネと対立し、その上カポネとの闇酒取引で不正を働いたと疑われ、7月1日に自分の経営するカフェで飲んでいた日に4時を過ぎた頃、イェールの自宅から妻のルーシー(2番目の妻で最初の妻マリアと2人の娘とは別れていた)の具合が悪いと連絡が入り、自分で運転して戻ることにした。帰宅途中に[[トンプソン・サブマシンガン#M1928|トンプソンM1928サブマシンガン]]で殺害された。イェールの運転していた[[リンカーン (自動車)|リンカーン]]は防弾仕様だったがウィンドーガラスには防弾処理が施されていなかった。殺害の実行犯は[[ジャック・マクガーン]]、ジョン・スカリーゼ、アルバート・アンセルミ、フレッド・"キラー"・バーグ。
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[[Category:マフィア]]
[[Category:暗殺された人物]]
[[Category:イタリア系アメリカ人]]
[[Category:カラブリア州出身の人物]]
[[Category:1893年生]]
[[Category:1928年没]]
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