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{{通貨記号}}
'''フランス・フラン'''(仏:Francフランス語:{{lang|fr|Franc français}}, :French franc)は、かつて[[フランス]]で定められていた[[通貨]]。
 
フランス本土のほか、[[ニューカレドニア]]・[[フランス領ポリネシア]]・[[ウォリス・フツナ]]を除く海外領土、および[[モナコ]]と[[アンドラ]]で通用していた。[[アメリカ合衆国ドル|アメリカドル]]、[[ドイツマルク]]、[[日本円]]、[[スターリング・ポンド|イギリスポンド]]に次ぐ[[準備通貨]]のひとつであったが、[[ユーロ]]の導入により、[[2002年]]までに通貨としての役割を終えた。
 
通貨記号は₣またはFF, あるいは単にFと表記する。[[ISO 4217]]のコードはFRF. [[通貨の補助単位|補助単位]]はサンチーム (centime) で、かつてはドゥシーム (decime) も使われていた。
 
以降、特に断りのないかぎりフランス・フランを単に'''フラン'''と記す。
 
== 歴史 ==
[[画像ファイル:Franc à cheval.jpg|thumb|最初のフラン金貨、フランカ・シュヴァル]]
 
=== 草創期 ===
フランは[[1360年]]に当時の国王[[ジャン2世 (フランス王)|ジャン2世]]が作った[[金貨]]にその端を発する。「フラン」の名は、[[ラテン語]]の ''Johannes Dei Gratia Francorum Rex''(神の恩寵によるフランクの王ジャン)から取られ、その価値は当時の通貨であった「トゥールポンド」 (Livre tournois) と同一(1フラン=1トゥールポンド=20ソル)と定められた。この最初のフランは「フランカ・シュヴァル」 ({{lang|fr|Franc à cheval}}) と呼ばれる。
 
のちに[[シャルル5世 (フランス王)|シャルル5世]]、[[アンリ3世 (フランス王)|アンリ3世]]、[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]によって鋳造されることになる。シャルル5世によるものを「フランカ・ピエ」 ({{lang|fr|Franc à pied}}) と呼ぶ。
 
[[1641年]]、[[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]はフランの発行を止め、新たに[[銀貨]]「[[エキュ]]」 ({{lang|fr|Écu}}) と金貨「ルイ・ドール」 (Louis d'Or) を作るが、「フラン」の名称はトゥールポンドの別称としてそのまま使われ続けた。当時のフランスでは、国王が定めたエキュの他に、トゥールポンドや「[[リーブル]]」など、様々な貨幣が混在して流通していた。
 
=== フランス革命後 ===
[[1795年]]、[[国民公会]]によってフランは[[十進法]](1フラン=10ドゥシーム=100サンチーム)による[[法定通貨]]として正式に制定された。この時のフランは4.5g5 gの銀貨であり、4.505g505 gのリーブル貨幣より若干小さかったが、[[1796年]]には1フラン=1.0125リーブル(1リーブル3ドゥニエ)になった。
 
[[1803年]]、[[フランス革命暦]]の月の名にちなんだ金貨「フラン・ジェルミナル」が発行される。この貨幣は9/31g(29031 g (290.32mg)32 mg) の純金であった。これ以降、金貨と銀貨を基準にし、相互に交換可能な貨幣制度([[金銀複本位制]])が確立する。この制度は、[[1864年]]に5フラン貨幣以外のすべての銀貨において、銀の含有率が90%から83.5%に落とされるまで続いた。
 
[[フランス復古王政|王政復古]]の時期も、フランは変わらず通貨として使われた。
 
フランスは[[1865年]]成立の[[ラテン通貨同盟]] (Latin Monetary Union, LMU) の創立メンバーとなり、LMUにおいてはフラン・ジェルミナルが基準の貨幣となった。[[1873年]]、LMUは1フラン=金9/31g31 gとする完全[[金本位制]]に移行している。
 
=== 大戦期 ===
[[第一次世界大戦]]の勃発によって、フランスはLMUの金本位制を捨てることになった。戦費、[[インフレーション|インフレ]]や戦後復興のための大量の[[紙幣]]発行によって、フランの価値は大幅に目減りし、その購買力は[[1915年]]から[[1920年]]にかけて70%に、[[1922年]]からは[[1926年]]にかけてはさらに43%にまで下落した。終戦後、フランスは[[1928年]]に金本位制に戻るものの、[[1936年]]に再び離脱して以降はまたもフランの下落が続いた。[[1959年]]時点でのフランの価値は、[[1934年]]の数字の1/40にも満たない有様だった。
 
[[第二次世界大戦]]でフランスが[[ドイツ]]の占領下にあった時期は、フランは[[ライヒスマルク]]の[[衛星通貨]]として扱われていた。「[[自由、平等、友愛|自由、平等、博愛]]」''({{lang|fr|Liberté, Égalité, Fraternité''}}) の文字の入った[[硬貨]]は、「労働、家族、祖国」''(Travail, Famille, Patrie'') と記され[[ヴィシー政権]]の紋章が入ったものと交換された。解放後、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]は「米国占領フラン」 (US occupation franc) を使用しようとしたが、これは[[シャルル・ド・ゴール]]によって止められている。
 
第二次大戦後、[[ブレトン・ウッズ協定]]のもとでフランは数回切り下げをしている。[[1945年]]の段階で480フラン=1[[スターリング・ポンド|ポンド]](119.1フラン=1[[アメリカ合衆国ドル|ドル]])であったのが、[[1949年]]には980フラン=1ポンド(350フラン=1ドル)、[[1957年]]には1382.3フラン=1ポンド(493.7フラン=1ドル)まで下げられた。
 
=== 新フラン ===
[[1960年]][[1月]]、フランは1/100の[[デノミネーション]]を実施。それまでの1フラン・2フラン硬貨はサンチームとして、100フランが「新フラン」''(nouveau franc'') として使われることになった。この頭文字「NF」は、その後一部の紙幣に使われている。インフレはなおも続いていたが、他の国に比べて進行のペースは緩やかになった。その後、[[1968年]]にもう1回切り下げが行なわれたのを最後に、ブレトン・ウッズ協定は[[変動相場制]]へ移行した。しかしながら、[[1999年]][[1月1日]]にユーロが導入された時のフランは、1960年と比べて1/8未満の価値にまで落ち込んでいた。
 
旧フランは徐々に置き換えられ、利用ができなくなっていった。フランがユーロへ移行した時点では、古いフラン貨幣はいずれも無効となっていた。一方、新フランへの切り替え後、フランスの人々の間では、大きな金額のことを「古いフラン」''(anciens francs'') と呼びならわす習慣が残った。例えば[[宝くじ]]の広告では、旧フランでの数字と同じとなるサンチームで当選金額が表記されるということがしばしばあった。この習慣は[[2002年]]にユーロが完全にフラン貨幣に取って代わるまで続いていた。また作家の[[ピーター・メイル]]は、[[プロヴァンス]]地方では旧フランの額で金を数える人たちが[[1990年代]]まで残っていたと報告している。
 
=== ユーロとの交代 ===
[[1992年]]締結の[[マーストリヒト条約]]により、フランスにおいて[[欧州連合]]の単一通貨ユーロの導入およびフランの廃止が決定。1999年1月1日より、対ユーロのレートが1ユーロ=6.55957フランと設定され、現金以外での取引にユーロが導入された。これに続き、[[2002年]]1月1日からユーロの紙幣・硬貨の流通およびフランとの交換が開始され、同年[[2月17日]]をもって、通貨としてのフランはその歴史に幕を下ろした。ユーロはドルに匹敵する強い通貨であるためユーロ高傾向にあり、[[輸出]]や[[観光]]に依存しているフランス経済界からはフランに戻そうと言う声も出ている
 
== 発行された貨幣 ==
=== 硬貨 ===
[[画像ファイル:1 franc semeuse.png|thumb|1フラン硬貨、1899年]]
[[画像ファイル:5 French centimes 1939.jpg|thumb|穴開きの5サンチーム硬貨、1939年]]
最初のフラン硬貨は1サンチーム・5サンチーム・1ドゥシーム・2ドゥシーム(以上[[銅貨]])、1/4フラン・1/2フラン・1フラン・2フラン・5フラン(以上銀貨)、20フラン・40フラン(以上金貨)が発行されていた。ただし、[[1801年]]から[[1848年]]の期間、銅貨は発行されず、1/4フランが最小価値の硬貨であった。この時期は、フラン以前に流通していた銅貨が、1スー=5サンチームとして通用していた。
 
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* 100フラン(≒15.24ユーロ):銀、ほとんど流通せず
 
これら硬貨とユーロとの両替は、[[2005年]][[2月17日]]まで可能であった。
 
=== 紙幣 ===
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* 500フラン(≒76.22ユーロ):[[ピエール・キュリー]]、[[マリ・キュリー]]夫妻、緑色
 
これらの紙幣は、[[2012年]][[2月17日]]まで、フランス銀行などでユーロと両替が可能きるあった
 
== 関係の深いフラン通貨 ==
[[画像ファイル:1FrancMonaco1978face.jpg|thumb|モネガスク・フラン硬貨。[[レーニエ3世]]の肖像が入っている]]
 
=== モネガスク・フラン ===
{{Main|モネガスク・フラン}}
モナコではユーロ導入までフランを法定通貨としていたが、'''[[モネガスク・フラン]]''' (ISO 4217: MCF) と呼ばれる独自通貨がフランと並んで流通しており、1:11:1の固定[[為替レート]]でフランにペッグされていた。ユーロ導入時に発行されていたのは硬貨のみであったが、かつて[[1920年]]・[[1921年]]には紙幣が発行されたことがある。なお、フラン硬貨と同様に、ユーロに両替可能な期間はすでに終了している。
 
=== アンドラ・フラン ===
アンドラは独自の通貨を持たず、ユーロ導入まではフランと[[ペセタ|スペイン・ペセタ]]が国内で通用していたが、[[外国為替市場]]の上では'''アンドラ・フラン'''(フランス語:franc andorran, :Andorran franc, ISO 4217:ADF)4217: ADF)という単位が存在していた。モネガスク・フランと同じく対フランで1:11:1のペッグ制であり、ユーロとの両替レートもフランと同一であった。当時のアンドラには[[憲法]]がなかった関係でフランスと公式には[[通貨同盟]]を結んでいなかったため、モナコと違い独自にフラン貨幣を発行したことはない。
 
=== CFPフラン ===
{{main|CFPフラン}}
フランスの海外領土のうち、ニューカレドニア、フランス領ポリネシア、ウォリス・フツナの3地域では[[1945年]]より[[CFPフラン]]が使用されている。詳細は当該項目を参照
 
== 関連項目 ==