「ハーフナー・ディド」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
HRoestBot (会話 | 投稿記録)
m r2.6.5) (ロボットによる 追加: fr:Dido Havenaar
Elec.24 (会話 | 投稿記録)
template
20行目:
|クラブ=[[ADOデン・ハーグ]]<br />[[東洋工業サッカー部|マツダ]]<br />[[読売サッカークラブ|読売クラブ]]<br />[[読売サッカークラブ・ジュニオール|読売ジュニオール]]<br />[[名古屋グランパスエイト]]<br />[[ジュビロ磐田]]<br />[[コンサドーレ札幌]]
|年=1979-1985<br />1986-1989<br />1989-1990<br />1990-1991<br />1992-1994<br />1995-1996<br />1997-1998
|出場(得点)={{0}}80 (0)(0)<br />{{0}}44 (0)(0)<br />{{0}}4 (0)(0)<br />{{0}}26 (0)(0)<br />{{0}}46 (0)(0)<br />{{0}}68 (0)(0)<br />{{0}}60 (0)(0)
|クラブ成績更新日=2010年2月13日
|代表国=
46行目:
== エピソード ==
* 帰化が報道された際、帰化名が、同時に[[官報]]に記載された日本国籍取得者の「浜名デレク」と取り違えられる誤報が流れた。実際はカタカナの「ハーフナー・ディド」である。なおディドによればオランダ語風に彼の名前をカタカナ表記することは、日本語にない音を含むため非常に困難だそうである。なにかと印鑑が必要になる日本で「浜名」という印鑑を購入してはいた。ちなみに、[[中国語]]における漢字表記は'''哈维纳尔 迪多'''(日本語の漢字表記に従えば'''哈維納爾 迪多''')だが、日本国内で使用することは基本的にない。
* 選手時代は、試合前練習でサポーターからコールが起きると手を振って答えるなど、ファンを大切にする姿勢をみせていたため広く親しまれていた。コンサドーレ札幌では引退してGKコーチになったあとも、試合前練習のGKのパートナーとしてグランドに出るとサポーターからコールが起きていたほど人気があった。マリノス横浜FMのコーチとしても試合前にもディドのコールが時折起き、その都度手を振り応えていた。
* マツダSC在籍のプレーを観た者{{誰2|date=2012年6月}}によれば、とにかくいちいち前に出て全部止め、一人だけ異次元のサッカーをやっているかのようだったという。また24時間頭の中はサッカーだけ、というプロとしての哲学は信藤ら、まわりの選手に大きな影響を与えた。本人はGKという役割に確固たる信念と誇りを持っているが長男マイクも二男ニッキもGKにさほど興味を示さずに、GK漬けだった父親として嘆息している。
* [[納豆]]が苦手。名古屋コーチ時代の2010年に、納豆が大好物である[[ドラガン・ストイコビッチ]]監督と「リーグで優勝したら納豆を食べる」という賭けをし、見事に名古屋が優勝を果たしたため、日本生活25年目にして初めて納豆を食べることになった<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00110638.html 【J1:第33節 磐田 vs 名古屋】ストイコビッチ監督(名古屋)記者会見コメント(10.11.27)] - [[J's GOAL]] 2010年11月27日</ref>。なおその際には「[[マスタード]]を混ぜて食べた」とコメントしている<ref>2010年12月15日付中日スポーツ5面</ref>。
* [[小倉隆史]]によれば大変負けず嫌いな性格で、いくつもの逸話がある。またTV番組『[[スーパーサッカー|ボレーの虎]]』では[[ドラガン・ストイコヴィッチ|ストイコヴィッチ]]側のGKを務め、この時も小倉から「2人とも負けず嫌いなんです」と言われている。
* 1995年、オフトに招かれてやってきたジュビロ磐田ではGKコーチを兼任していたが、ディド後のジュビロのゴールを守った[[大神友明]]によれば、ディドは選手としてやる気満々で、他のGKはほとんど指導が受けられなかったという。
* コンサドーレ札幌在籍の1997年5月25日、[[札幌厚別公園競技場|厚別]]での[[川崎フロンターレ]]戦ではリードされた試合終盤、前線に選手を残すために自陣のスローインはすべて自ら取りに行き、同点に追いついた後半ロスタイムのコーナーキックでは長身というのもあって自らもゴール前に上がり、ボールに触らないながらも勝利への執念を見せ、劇的な大逆転勝利に貢献した。
* 前述の[[ドーハの悲劇]]での同点ゴールのシーンでは、監督の[[ハンス・オフト]]が吸っていたタバコを叩きつけて悔しがる傍らで毅然と[[ピッチ]]に視線を向けていたが、その両手には(自身は試合に出られないにもかかわらず)[[ゴールキーパーグローブ]]が装着されていた。
 
==所属クラブ==
*1979年 - 1985年 : {{flagicon|NED}} [[ADOデン・ハーグ]]
*1986年 - 1989年 : {{flagicon|JPN}} [[東洋工業サッカー部|マツダ]](GK (GKコーチ兼任)
*1989年 - 1990年 : {{flagicon|JPN}} [[読売サッカークラブ|読売クラブ]]
*1990年 - 1991年 : {{flagicon|JPN}} [[読売サッカークラブ・ジュニオール|読売ジュニオール]]
*1991年 - 1994年 : {{flagicon|JPN}} [[トヨタ自動車工業サッカー部|トヨタ]](GK (GKコーチ) / [[名古屋グランパスエイト]] (選手復帰)
*1995年 - 1996年 : {{flagicon|JPN}} [[ジュビロ磐田]](GK (GKコーチ兼任)
*1997年 - 1998年 : {{flagicon|JPN}} [[コンサドーレ札幌]]
 
75行目:
*2008年 - 2011年9月 名古屋グランパスアシスタントコーチ
*2011年9月 - [[清水エスパルス]]トップチームコーチ
 
== 個人成績 ==
{{:利用者:Bcjp/t/fbp国内表 top|yy}}
{{:利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th|オランダ|all}}
|-
|||rowspan=6|[[ADOデン・ハーグ|デン・ハーグ]]||||||||||||||||||||
|-
|[[エールディヴィジ1980-1981|1980-81]]||デン・ハーグ||||rowspan="2"|[[エールディヴィジ]]||||||||||||||||
|-
|[[エールディヴィジ1981-1982|1981-82]]||デン・ハーグ||||||||||||||||||
|-
|1982-83||デン・ハーグ||||rowspan="3"|[[エールステディヴィジ]]||||||||||||||||
|-
|1983-84||デン・ハーグ||||||||||||||||||
|-
|1984-85||デン・ハーグ||||||||||||||||||
|-
!colspan="4"|日本!!colspan="2"|リーグ戦!!colspan="2"|<small>[[JSLカップ|JSL杯]]/[[Jリーグカップ|ナビスコ杯]]</small>!!colspan="2"|[[天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]!!colspan="2"|期間通算
128 ⟶ 129行目:
** [[J1参入決定戦]] 4試合0得点
 
==経歴・タイトル==
*JSLベスト11 : 1987/88
*リーグ戦初出場 - 1993年6月2日対[[サンフレッチェ広島]]戦
 
==経歴・タイトル==
*JSLベスト11 : 1987/88
*JFLベスト11: 1997
*JFLベストゴールキーパー賞: 1997
141 ⟶ 143行目:
 
{{清水エスパルスのメンバー}}
{{ジャパンフットボールリーグ表彰選手}}
 
{{DEFAULTSORT:はあふなあ ていと}}
[[Category:オランダのサッカー選手]]