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横見 (会話 | 投稿記録)
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1988年8月12日、不動産業大手[[地産]]および財団法人社会スポーツセンターが、大文字山の北斜面に当たる北白川南ヶ原町に18コース、約100ヘクタールのゴルフ場の建設を計画していることが発覚する<ref>『京都新聞』1988年8月12日朝刊</ref>。これに対し、景観面での問題のみならず、農薬汚染や土砂崩れ<ref group = *>前述の通り、大文字山の北側は風化した花崗岩が多い。</ref>についても懸念が発生し、北白川学区、第三錦林学区の住人の一部を中心に反対運動が展開された。一帯は旧浄土寺村の共有地であったが1969年に大阪の不動産業者の手に渡り、それを地産が1972年または1974年<ref>『ゴルフ場撃退・全記録』では1972年、『京都新聞』1989年12月7日では1974年</ref>に購入したもので、1983年頃からゴルフ場建設を計画していたもの。古都保存法では大の字の火床については開発を規制されているのだが、それ以外の場所については、市街化調整区域(1971年)、第一種風致地区(1970年)の指定により宅地造成に制限はあるものの、あらゆる開発が規制されているものではなかった<ref>『ゴルフ場撃退・全記録』p.15, pp.38-39。『京都新聞』1989年12月6日夕刊、7日朝刊。ゴルフ場以外ではスポーツ施設や寺院などの開発が、禁止はされていない状態であったとされる。</ref>。11月にそれぞれの学区においてゴルフ場建設に反対する団体が別個に発足。反対運動を開始する。翌1989年3月27日には[[京都弁護士会]]公害対策委員会が「大文字部会」を設置<ref>『ゴルフ場撃退・全記録』p.29, p.31, p.43</ref>、京都市に意見書を提出するなどする。1989年8月に行なわれた京都市長選で反対派はゴルフ場反対との姿勢を明らかにした<ref>『草の根の怒り321』p.25, p.61, p.64, p.96, p.120など。</ref>[[日本共産党]]推薦の[[木村万平]]候補に接近・共闘するも、[[公明党]]・[[民社党]]が推薦、[[自由民主党]]が支持する[[田辺朋之]]候補に321票差で敗北した<ref>『ゴルフ場撃退・全記録』pp.51-55</ref>。その後大文字山の沢水、地下水を利用していた[[京都大学]]の学生なども反対運動を展開する。1989年12月6日、地産は市民らの反発が強いことを理由として計画を白紙撤回した<ref>『ゴルフ場撃退・全記録』pp.59-63、『京都新聞』1989年12月6日夕刊</ref>。
なお、送り火に関わる大文字保存会は中立の立場を取っていた<ref>『京都新聞』1989年12月7日</ref>。
その後1990年のゴルフ場等建設指導要綱、およびその1993年の改定で、京都市では平成242012年現在開発許可を必要とするゴルフ場の建設は認められない<ref>[http://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/cmsfiles/contents/0000081/81699/golfyoukou200904.pdf]京都市運動施設等及びゴルフ場の建設事業に関する指導要綱</ref>。
<ref>『京都市長選挙結果調』1989年、『京都破壊に抗して』</ref>
<ref group = *>ちなみに比叡平東方、大津側にある「皇子山カントリークラブ」は1960年(昭和35年)1月起工、1961年6月開場。もともとは開拓地であった。</ref><ref>『皇子山カントリークラブ20年史』p.76「20周年座談会」およびp.98の年表。</ref>