「1967年日本グランプリ (4輪)」の版間の差分

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== 概要 ==
4回目となる日本GPは前回に続き富士スピードウェイで開催された。自動車メーカー系チームの中では、[[プリンス自動車]]と[[日産自動車]]の企業合併により再編された日産ワークスが注目された。マシンは前年優勝した[[プリンス・R380]]を改良した日産・R380II。ドライバーは旧プリンス系の砂子義一(前年の優勝者)、大石秀夫と、日産[[追浜ワークス]]系の[[北野元]]、[[高橋国光]]という合同編成になった。[[トヨタ自動車]]は今回は出場を見送り、極秘に[[トヨタ・7]]開発計画を進めた。[[ダイハツ工業]]は小排気量クラスの[[ミッドシップ]]マシン、ダイハツ・P-5を開発して参戦した。
 
プライベーターでは[[ポルシェ・906]]のエントリーが3台に増加し、前年活躍した[[滝進太郎]]に加えて、[[生沢徹]]と酒井正も906で参戦した。安田銀治とロドニー・クラーク<ref name="DON">のちにF1チーム[[シャドウ (F1)|シャドウ]]代表となるドン・ニコルズの仮名。</ref>は北米[[カナディアン-アメリカン・チャレンジカップ|Can-Am]]シリーズ用のローラ・T70Mk.IIをグループ6仕様に改修。また、[[シェルビー・デイトナ]]のデザイナーとして知られる[[ピート・ブロック]]が[[日野・コンテッサ]]のエンジンを搭載したヒノ・サムライで参戦。斬新なボディデザインに加え、「サムライ」にちなんで[[俳優]]の[[三船敏郎]]がチーム監督を務めることも話題となった。