「布袋の大仏」の版間の差分

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[[Image:Hotei-daibutsu kaisetsu.JPG|thumb|right|250px|案内板]]
 
[[1949年]]、当時[[名古屋市]]で[[きゅう師]]を営んでいた前田秀信(当時43歳)が、夢告により大仏造立を決断、独力で造像を進め、5年後の[[1954年]]に完成した。像は高さは18m、コンクリート製で露坐である。像高は「奈良の大仏」として知られる奈良・[[東大寺]]大仏殿の本尊像よりも2メートルほど大きく、個人所有のものとしては最大級の仏像である。参道入口の石標は「御嶽薬師尊」とあり、[[御嶽山 (長野県)|木曽御嶽山]]信仰をもとに造立されたものである
 
なお、大仏の後ろには「大佛治療院」という[[治療院]]が併設され、大仏と建物は完全に一体となり人が住んでいる。現在は周辺に住宅が立ち並び埋もれているが、建立当時は周り全てが田畑で遠くからでも異様な光景が際立っていた。
 
この大仏が有名になる以前は「'''布袋の大仏'''」といえば布袋町南の[[布袋の大仏 (木造阿弥陀如来坐像)|木造阿弥陀如来坐像]]のことを指していた。
 
周辺には[[サクラ]]が植樹され、春になるとライトアップが行われる場合があり見物客が来ることもある。また、[[テレビ]]番組の「江南市特集」や「奇妙な光景特集」などで取り上げられることある。
 
[[名鉄犬山線]][[布袋駅]] - [[江南駅 (愛知県)|江南駅]]間で、[[列車]]の車内からも西側に眺めることができる。大仏の反対側から、列車と大仏を絡めた[[鉄道写真]]が撮られることも多い。