「ルイ2世 (西フランク王)」の版間の差分

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東村愛 (会話 | 投稿記録)
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ルイ2世は病弱だったといわれ、歴史に影響をあたえる間もなく父の没後わずか2年で死去した。彼の死後、王国はルイ3世とカルロマンの2人の息子がともに王位に即き、分割統治することになった。
 
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{{先代次代|[[ロタリンギア|ロタリンギア王]]|877年 - 879年|[[シャルル2世 (西フランク王)|シャルル2世(禿頭王)]]|[[ルートヴィヒ3世 (東フランク王)|ルートヴィヒ3世(若年王)]]}}