「マジャパヒト王国」の版間の差分

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15世紀以降はイスラム教が浸透して、マラッカ王国がイスラム化したのを始め、[[マタラム王国]]がジャワ北岸のトゥバン、{{仮リンク|グレシク県|en|Gresik Regency|label=グレシク}}などにもイスラム教国が成立する。
 
[[1478年]]、マジャパヒト王国でも{{仮リンク|ケークルタウィジャヤ|id|Kertawijaya}}が、息子の{{仮リンク|ブラウィジャヤ|id|Brawijaya|label=ブラウィジャヤ5世}}(シンハウィクラマワルダナ)の妃に[[チャンパ王国]]からムスリムの公主を迎え、内政でもイスラームへの[[改宗]]を容認した。
 
{{仮リンク|ブラウィジャヤ|id|Brawijaya|label=ブラウィジャヤ5世}}の息子{{仮リンク|ラデン・パター|id|Raden Patah}}が[[ドゥマク王国]]を建国し、[[サムドラ・パサイ王国]]と友好関係を築き、[[ワリ・サンガ]]によるイスラム教布教によって急速に国力を増大した。
 
16世紀に始めに[[ドゥマク王国]]を中心としたイスラム勢力に滅ぼされたとされる。