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現在のチロル州の地域に人類が居住し始めたのは[[中石器時代]]にまでさかのぼるが、[[ローマ帝国]]領となる前にここに住んでいた[[ラエティア人]]について詳しいことは知られていない。[[紀元前15年]]に[[ティベリウス]]と[[大ドルスス]]はこの地を征服してローマ帝国の版図に加え、[[ラエティア]]属州と[[ノリクム]]属州を設置した。[[西ローマ帝国]]の衰退後は[[東ゴート王国]]の、次いで[[バイエルン大公|バイエルン部族大公]]の支配下に入った。
[[Image:Margarethe Tirol.jpg|thumb|left|チロル女伯[[マルガレーテ
[[1027年]]、[[神聖ローマ皇帝]][[コンラート2世 (神聖ローマ皇帝)|コンラート2世]]は[[ブリクセン]]司教と[[トリエント]]司教を[[神聖ローマ帝国]]の[[帝国諸侯]]とし、両司教領はバイエルンから切り離された。その臣下だった[[チロル伯]]は次第に力をつけて独立し、[[13世紀]]頃までにチロルの多くが[[マインハルト家]]のチロル伯領となった。[[ハプスブルク家]]のオーストリア公[[ルドルフ4世 (オーストリア公)|ルドルフ4世]]は、[[1363年]]にマインハルト家最後の相続人である[[マルガレーテ
[[15世紀]]後半の[[マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝)|マクシミリアン1世]]の治世時には銀や銅、塩の鉱山が点在していたことから、ハプスブルク家は莫大な収益を上げていた。チロルで得た収入は惜しみなく芸術につぎ込まれた。
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