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昭和56年([[1981年]])に同社出身の[[土光敏夫]]経団連名誉会長(当時)に請われ、旧日本電信電話公社総裁に就任。同公社の民営化を積極的に推進し、昭和60年([[1985年]])4月の日本電信電話株式会社(NTT)発足に伴い初代社長に就任した。しかし[[リクルート事件]]で、同社事業への支援の謝礼として値上がり確実なリクルートコスモス非公開株1万株の譲渡を受けたことが発覚し、昭和63年([[1988年]])12月12日にNTT会長を辞任。[[平成]]元年([[1989年]])3月6日にNTT法違反(収賄)容疑で元秘書とども逮捕、逮捕された後、「(清廉な)土光さんが生きていたらオレは破門だな」と悔やむ。平成2年([[1990年]])10月9日東京地裁に一審は懲役2年、執行猶予3年、追徴金2270万円の有罪判決が出て、その後、確定している。そして、公職や経営の一線から身を引いていた、一切弁明することも無く。
 
最後にメディアに登場したのは平成7年([[1995年]])春、日経BPのインタビュー記事だ。「民営化は万能薬ではない」とし、大事なのは競争状態を作ることだと語っている、「事業の独占を放置したまま民営化すると、逆に民業圧迫になる」と。平成15年([[2003]])[[1月26日]]午前0時42分、肺炎のため死去した、享年92歳。
 
== 参考文献 ==