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'''禹州市'''(うしゅう-し)は[[中華人民共和国]][[河南省]][[許昌市]]に位置する[[県級市]]。
 
== 地理 ==
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中華文明の発祥の地とされる。市内北部の[[具茨山脈]]、西部の[[大鴻寨山脈]]は[[黄帝]]と密接な関係のある[[有熊氏]]及び[[方嫘氏]]、[[大鴻氏]]、[[風后氏]]の活動地域であった。『[[荘氏]]』などには黄帝をはじめ[[顓頊]]、[[帝喾]]、[[尭]]、[[舜]]などの支配地が禹州にあったとされ、特に[[大禹]]は禹州を中心に治水事業を行った功績により舜より夏伯に封じられ禹州を'''夏邑'''と改称、この地で即位し[[夏 (王朝)|夏朝]]を建てたとされ、同時代の[[瓦店遺跡]]が発掘され夏朝の王城跡に比定、[[夏商周断代工程]]の中での重要遺跡に指定されている。
 
[[周|周代]]になると[[紀元前408年|前408年]]に[[韓 (戦国)|韓]]が国都を平陽より陽翟に遷都、これが現在の禹州に相当する。[[紀元前375年]]、韓が[[鄭]]を滅ぼすと新鄭に遷都したが、5年後に再び陽翟に遷都し、以降[[元 (王朝)|元代]]に至るまで'''陽翟'''の名称が使用された。
 
[[明|民初]]に陽翟郡は[[釣州]]に編入、[[1575年]]([[万暦]]3年)に[[万暦帝]]の諱を避け'''禹州'''と改称された。[[1913年]]([[中華民国暦|民国]]2年)、州制の廃止により'''禹県'''が誕生、[[1988年]]6月25日に県級市に改編された際に禹州市とされ現在に至る。