「軍服 (朝鮮半島)」の版間の差分

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File:GEN Kim Tae-Young.jpg|陸軍大将。
File:UNC-CFC-USFK Change of Command Ceremony (1).jpg|向かって右端が韓国陸軍将官。米国陸軍の軍服の影響が強い。
Image:Sec of Defense William Cohen in Korea, January 1998.JPEG|陸軍士官のオーバーコート (前列右端)、空軍下士官兵の礼装 (後方の儀仗隊)
Image:Dorasan.jpg|戦闘服
Image:Suedkoreanischer JSA Soldat.jpg|[[板門店|JSA]]で観光客を護衛している[[憲兵]]
Image:Republic of Korea (ROK) Military Police (MP).jpg|憲兵
ファイル:KMA Visit - 03 FEB 2010.jpg|[[韓国陸軍士官学校|陸軍士官学校]]生徒の制服。
File:Chun Doo-hwan, 1951.jpg|陸軍士官学校生徒の制服。[[全斗煥]]。
Image:Hwang Young Si 1982-7-6.png|旧制服
Image:Yoon Sung Min 1982.png|旧制服
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== 朝鮮民主主義人民共和国の軍服 ==
朝鮮人民軍は、襟に階級章がついたカーキ色の人民服風の軍服と制帽、[[ケピ帽]]のような特徴ある戦闘帽を着用していることが多い。兵下士官はソ連型のプルオーバー形(ギムナスチョルカ型と呼ばれる)の軍服が基本である。[[ソ連軍]]と[[中国人民解放軍]]の軍装から強い影響を受けていると、一般的に言われる
兵下士官はソ連型のプルオーバー形(ギムナスチョルカ型と呼ばれる)の軍服が基本である。
[[ソ連軍]]と[[中国人民解放軍]]の軍装から強い影響を受けていると、一般的に言われる。
 
朝鮮戦争時代はソ連軍の物にもっと酷似した軍服であり、将校・将官は詰襟式で肩章のついた軍服、兵下士官は同じく折襟であったが肩章式の軍服であった。その後1960年代から全階級で襟章式が基本スタイルとなり現在も階級制度の若干の改正はあるものの、1960年代からほぼ同一である。戦闘帽の形状は朝鮮戦争前後の時代から現在にいたるまでデザイン自体はほぼ一緒である
その後1960年代から全階級で襟章式が基本スタイルとなり現在も階級制度の若干の改正はあるものの、1960年代からほぼ同一である。
戦闘帽の形状は朝鮮戦争前後の時代から現在にいたるまでデザイン自体はほぼ一緒である。
 
海軍の軍服もソ連海軍の軍装が原型であり兵下士官のセーラー服、将校・将官は折襟式の軍服である。
セーラー帽のペンネントには朝鮮人民軍海軍のハングル文字が入る。
兵下士官の階級章はセーラー服であるため、長方形の肩章式となる。
またベルトバックルには海軍を示す錨と星の重なったマークが入るバックルとなる。
夏服は上着及び制帽が白色、ズボンが黒色となり冬服は上下、帽子とも黒色となる。
陸・空軍と同じく開襟式の制服も同様にあるが、軍服の色・徽章・ボタンは海軍独特である。
 
海軍の軍服もソ連海軍の軍装が原型であり兵下士官のセーラー服、将校・将官は折襟式の軍服である。セーラー帽のペンネントには朝鮮人民軍海軍のハングル文字が入る。兵下士官の階級章はセーラー服であるため、長方形の肩章式となる。またベルトバックルには海軍を示す錨と星の重なったマークが入るバックルとなる。夏服は上着及び制帽が白色、ズボンが黒色となり冬服は上下、帽子とも黒色となる。陸・空軍と同じく開襟式の制服も同様にあるが、軍服の色・徽章・ボタンは海軍独特である。
 
空軍は陸軍とほぼ同じ軍装であるが、兵科色と徽章が陸軍とは異なる。
 
迷彩服については、迷彩の形状、パターンは[[ソ連軍]]や[[中国人民解放軍]]、近年は[[韓国軍]]や[[自衛隊]]のそれを模したものなど、かなりの種類が確認できるものの、形式はかつてのソ連軍など東側の軍隊に多く見られたつなぎ式の迷彩服を通常の軍服の上から着込む古いものであり、またその支給は一部の部隊に限られ現在においても基本的な軍服に迷彩は取り入れられていない。近年ではもはや珍しい類の軍装である。これは[[北朝鮮]]の深刻な経済状況により全軍支給ができない(或いは特殊部隊などの一線級部隊のみでしか迷彩服が必要視されていない)ためであると推定されている。厳しい経済状況により軍服の生地質の悪化や製法の簡略化などが多く行われており、基本的な耐久性すらも疑問視される程である。
これは[[北朝鮮]]の深刻な経済状況により全軍支給ができない(或いは特殊部隊などの一線級部隊のみでしか迷彩服が必要視されていない)ためであると推定されている。厳しい経済状況により軍服の生地質の悪化や製法の簡略化などが多く行われており、基本的な耐久性すらも疑問視される程である。
 
将校・将官の礼服として灰色に近い茶色をした肩章のつく開襟式の軍服、常勤服として戦闘服と同じ色をした開襟式の軍服が存在する。防寒服としてはソ連式の[[テログレイカ]]と呼ばれる服に似た綿の入れられた特徴的な被服がある。この防寒服は[[九州南西海域工作船事件]]において自爆した工作船から回収された遺留品の中にも同型の防寒服がある。また防寒帽も同じくソ連式の[[ウシャンカ]]型である点も各共産圏軍装とも共通した特徴である。
防寒服としてはソ連式の[[テログレイカ]]と呼ばれる服に似た綿の入れられた特徴的な被服がある。
この防寒服は[[九州南西海域工作船事件]]において自爆した工作船から回収された遺留品の中にも同型の防寒服がある。
また防寒帽も同じくソ連式の[[ウシャンカ]]型である点も各共産圏軍装とも共通した特徴である。
 
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Image:North_Korean_General.jpg|海軍大佐(黒線2条に星章4つの襟章。上佐の上で少将の下)
File:Joint_Security_Area-Military.jpg|陸軍中佐
File:General Officer Talks at Panmunjom.jpg|外套
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